~再訪の旅~ のんびり北見歴史さんぽ|文化センターと端野のルーツを訪ねて

【たかさん】の北海道市町村来てみたよ!

 

みなさま、おひさしぶりです!

今回はオホーツクエリアの中心都市、【北見市】へ足を伸ばしてきました。

 

過去の訪問はこちら ↓

takavantabidaikiti.hatenablog.com

 

北見市公式HP

https://www.city.kitami.lg.jp/www.city.kitami.lg.jp

人口:106,559人 手元資料では北海道8番目の人口都市ですね。

 北見といえばハッカや焼肉のイメージが強いかもしれませんが、実は開拓や地域の歩みを物語る興味深い歴史スポットがたくさんあります。

今回は「のんびり歴史さんぽ」をテーマに、「北網圏北見文化センター」「端野町水田発祥の地」「端野町歴史民俗資料館」の3か所を巡ってきました。 厳しい気候の大地に挑んだ人々の歴史をほんの少しお届けします。

[北網圏北見文化センター]

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開基100年記念碑f:id:daikiti_taka:20260922132822j:image

北見を中心に距離が書かれていました。(写真が横でごめんなさい)
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入場料はおっさん約1名990円でした(常設観覧券)


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プラネタリウムもやっているようですが、別料金ですね。セット割引もあるようです。

なかなかりっぱな建物です。
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入場券は券売機で購入です。常設展示は博物館、科学館、美術館共通券でした。
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さすが玉ねぎの街【北見市】! 生産量日本一!

ちょうど玉ねぎの収穫時期だったらしく、行きすがらもそこらにあの鉄の籠が積まれていました。
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こちらが「博物展示室」 さっそく拝見。f:id:daikiti_taka:20260922132830j:image


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屯田兵の関係年表がありますね。
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「北見ハッカ記念館」にもありました、田中式薄荷蒸溜器は、2007(平成19)年に経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されています。
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残念ながら、北見市の成り立ちにかかわる歴史年表はありませんでした。

後ほど、調べてみましょう。

 

こちらは「科学展示室」子供たちが楽しそうでした。
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こちらは「美術展示室」自分は美術関係の写真は載せない方がよいと判断しています。
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のんびり観覧させてもらった後は、

一旅一ラーメン!

今回は北見市内の「らーめん本丸」さんへ。
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おいしいラーメンをいただいてまいりました。
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ごちそうさまでした!

 

さて。カミさんにお土産をたのまれていて、

北見でお土産??? 

道の駅は留辺蘂だしなぁ。と思いながら調べたらありました。

「JR北見駅」
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JR北見駅のキオスクには北見土産がそろっており、赤いサイロもありましたよ!

いくつか購入して撤収。(キオスクのおねぇさん可愛かった。)

 

北見市内から北へ向かうと、「旧端野町」

平成の大合併時に北見市となった街です。

当時合併となったのは、「端野町、常呂町、留辺蘂町」の3町が北見市となりました。

その端野町「水田発祥の地」
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屯田兵による大変な苦労の元、この水田が広がったようです。
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今年の稲刈りもほぼ終わり、おいしいお米が出回る時期になりました。

農家さんに感謝。
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発祥の地の真向いになにかあったので寄ってみると・・・

「北見最古の馬頭観世音菩薩」がありました。(宗教的な関係はこの程度にしておきます)
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やってきました「北見市端野町歴史民俗資料館」f:id:daikiti_taka:20260922132844j:image

開館日時は「火~日 AM10:00~PM4:00 5/1~11/7までのようです。

入館料は歴史が気になるおっさん約1人210円でした。f:id:daikiti_taka:20260922132845j:image

何やら石が。
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では、入ってみませう!
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っとっとっと!入館希望者は併設の図書館にて受付してください。とのこと。

入館は日付や何名か記入すればよかったのですが、写真撮影については「氏名・住所・連絡先・使用用途」等詳しく記入する用紙が別記載となっておりました。

使用用途にBlog投稿って書いたらめんどくさそうだったので、今回は個人的歴史資料と言うことにして、UPはやめときます。

端野町の主な出来事があったので主観的一部をまとめておきます。

明治29(1896)屯田兵屋建築工事着工

明治30(1897)屯田兵第四大隊一中隊100戸入地

        野付牛生顔寺村戸長役場

明治42(1909)戸長役場廃止、二級町村制施行され、野付牛村となる

大正04(1915)一級町村制施行、野付町となる

       置戸、武革を分村

大正10(1921)野付牛村から分村、端野村

昭和04(1929)一級町村制施行

昭和36(1961)端野村から端野町となる

と、昭和60年(1985)までで、年表は終了しておりました。

 

「屯田開拓顕彰像」f:id:daikiti_taka:20260922132849j:image

「屯田兵練兵場跡」
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「開拓記念碑」かな??
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資料館の周りは公園になっていて、端野町の歴史、文化を伝える場所となっていました。
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ここで追記しておきましょう。

もともと北見の中心部はアイヌ語の「ヌプケシ(野の端)」に由来する野付牛(のつけうし)と呼ばれていました。

  • 1897年(明治30年):屯田兵(北光社移民など)の入植により人口が急増。網走村外二ヶ村戸長役場から「野付牛村」が分離・独立。

  • 1915年(大正4年):武華(現・留辺蘂町)が野付牛村から分村。

  • 1921年(大正10年):相内(あいのない)村、端野(たんの)村が野付牛村から分村。

  • 1942年(昭和17年):野付牛町が単独で市制を施行し、「北見市」へと改称(オホーツク海=北の海を見るという意味合いなどに由来)。

  • 1956年(昭和31年):昭和の大合併の流れの中、かつて分村した相内村を編入合併

2006年の「平成の大合併」

 合併した自治体(1市3町):

  • 旧・北見市:オホーツクの中心都市・商業やハッカの拠点

  • 端野町(たんのちょう):水田発祥の地・田園と農業の拠点

  • 常呂町(ところちょう):オホーツク海に面し、ホタテ漁やカーリングで有名

  • 留辺蘂町(るべしべちょう):温泉地(温根湯温泉)や林業、白花豆の生産地

総面積は1,427.41平方キロメートル。北方領土を除くと北海道内で第1位、全国の市町村でも高山市(岐阜県)、浜松市(静岡県)、日光市(栃木県)に次ぐ全国第4位の広大な市域となりました。

 

のんびり歴史さんぽも終わり、買い出しへ。

山の中を走り、遠軽町のCITYさん。
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今回は早めの時間からのんびりしようと、丸瀬布町(まるせっぷちょう)のキャンプ場へきました。

キャンプ場向かいの温泉「丸瀬布温泉やまびこ」さん。
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「丸瀬布公園いこいの森 オートキャンプ場」にてまったりし、翌日帰しました。

 

普段ドライブや観光で通り過ぎてしまうような風景の奥にも、かつて厳しい自然に立ち向かい、この地を切り拓いた先人たちの確かな息づかいが残っていました。

歴史を知ることで、見慣れたオホーツクの景色がぐっと味わい深く感じられます。 たまには時計を気にせず、地域のルーツを辿る「のんびり歴史旅」に出てみるのもおすすめですよ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

では、次のVAN旅でお会いしましょう!

次回は10月の連休に出かけられたらいいなぁ。

〜再訪の旅〜 松浦武四郎の足跡を追い、天塩日記のページをめくる旅。

【たかさん】の北海道市町村きてみたよ!

 

北海道VAN旅。~再訪~の旅編。

「幌延町」「中川町」「音威子府村」に行ってきました!

 

過去の訪問はこちら↓takavantabidaikiti.hatenablog.com

旧Twitter、後半の3町村です。

 

 

最初の訪問は

【幌延町】(ほろのべちょう)

www.town.horonobe.lg.jp

 

住民基本台帳人口

2026年 1,051人

小さな街です。手元資料では161/179番目の人口都市となっております。

 

通りがかりに寄ってみました。

「北緯45度通過点」

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北緯45度線はこの幌延町、枝幸町、中頓別町などにも北緯45度のモニュメントや看板が存在します。利尻富士(利尻山)の北側付近も北緯45度線が通過しています。

ちなみに赤道と北極のちょうど半分ですが、びみょーーにずれているそうです。


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【松浦武四郎の宿営の地】

パークゴルフ場のところにありました。
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《天塩日誌とは?》

『天塩日誌(てしおにっし)』は、幕末の探検家・松浦武四郎(のちに「北海道」の名付け親となる人物)が執筆した紀行文・調査報告書です。

安政4年(1857年)、武四郎が5回目の蝦夷地踏査で天塩川流域を旅した際の記録をまとめたもので、当時の道北の様子を知るための極めて貴重な歴史的資料となっています。

  • 調査の背景と行程

    • 安政4年(1857年)旧暦4月頃から石狩川などを調査した武四郎は、同年6月に天塩川の本格的な探査に入りました。

    • 河口から小さな丸木舟を使い、現在の幌延、中川、音威子府、美深、名寄などを経て、天塩川の源流付近(天塩岳周辺)にまで到達。往復24日間に及ぶ苛酷な調査を行いました。

  • 当時の自然と生態系の記録

    • 当時は道らしい道もなく、人の背丈を超える密林や流木、大量の蚊やアブに悩まされながら進む、まさに「原始の川」の状態でした。

    • 日誌には、当時の豊かな森林や川の様子だけでなく、今とは異なる生態系(かつて天塩川に多く生息していたチョウザメの記録など)も詳細に描き出されています。

  • アイヌの人々の暮らしと地名

    • 随所でアイヌの人々の協力を得て調査を行い、彼らの当時の生活様式や文化、伝承を温かいまなざしで記録しています。

    • 流域の川や山の名前をアイヌ語の地名とともに綿密に書き留めており、のちの精密な地図づくりや「北海道」という道名・郡名の提案(アイヌ語の「カイ」に由来する説など)へとつながる重要な原点となりました。


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この天塩近辺を巡っていると、この「天塩日誌を訪ねて、」を所々で目にします。

このあとも追っていきます。

 

~再訪の旅~では、普段寄らないんですが

【幌延町役場】

でっかいねぇ。
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【忠魂碑】
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日露戦争をはじめとする各地の事変や戦争において亡くなった、旧幌延村ゆかりの戦没者たちの御霊を慰め、その功績を後世に伝えるために建てられたものです。
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昭和8年に建立ですね。
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では!幌延町の歴史散策へ!
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【幌延町郷土資料館】
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は休館日でした。。。。。。街の歴史にふれられず退却。
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今回の目的地!

【幌延深地層研究センター ゆめ地層館】
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前回の幌延町探索でも来たのですが、

「とまりん館」(泊村)訪問から、また来たかったんですよ。

両施設あわせて見ると一層、原子力発電への真剣な取り組みがわかりますので、

素人解説はしませんので、ゆっくり資料をごらんください。
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エレベーター VT500に乗り、地下へ降りてきました。
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上に上がって展望台からの景色
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もっかい地下へ。
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これがバーチャルトランスポーター VT500ですね。
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んー!何度来ても楽しいし、勉強になる!

是非一度でも足をお運びください。

 

幌延町を後にして向かった先はお隣、

【中川町】

www.town.nakagawa.hokkaido.jp

人口 2026年6月 1231人の小さな街です。

 

偶然にも二日目の日誌。

【松浦武四郎宿営の地】
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ここにも蚊やアブに悩まされた事がかかれていました。


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「天塩 治水顕彰之碑」f:id:daikiti_taka:20260720083514j:image

裏側も撮影したかったのですが、《熊出没!立ち入り禁止!》となっていました。

近年の熊騒動には困ったもんですなぁ。


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と、そんなところでお昼となり、お昼ご飯を求めて伺った先は!

「PONPIRA AQUA リ2ING(ポンピラアクアリズイング)」f:id:daikiti_taka:20260720083102j:image

温泉宿泊施設ですね。f:id:daikiti_taka:20260720083406j:image

 

レストラン「WELBE(ウェルビー)」さんにて。f:id:daikiti_taka:20260720083221j:image

 

一旅一ラーメン!
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ラーメン(醤油)をいただきました。ごちそうさまでした!

 

おなかも満たされたところで

中川町の歴史を知るべく向かった

「佐久ふるさと伝承館」
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おお。JR駅・・・。
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中にはこじんまりと展示物がありました。
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上り下りとも3本の運行です。
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ハッカ?!
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中川町でもハッカ!
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2階には駅の沿革が。
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残念ながら、歴史年表はありませんでした。


今日はこの辺にしておこう。と、本日の宿泊先は、お昼ご飯の時に気になった場所。

「中川町オートキャンプ場ナポートパーク」
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先ほどの、温泉宿泊施設のお隣で、温泉まで歩いて1分!ダメ元で聞いてみたら当日の飛び込みで入れました!電源付きカーサイトもお安く、とてもよいキャンプ場でした!
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---翌朝---

お隣【音威子府村】(おといねっぷむら)

www.vill.otoineppu.hokkaido.jp

令和5年 632人 北海道で一番小さな自治体となっており、

人口規模ではもちろん北海道179/179番目の街です。

 

【松浦武四郎踏査地】調査五日目。
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ここでもアブや蚊に悩まされ、チョウザメが沢山いたことを書き残していました。
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はい!北海道民なら知っていてほしいこの地にまたやってきました。

音威子府村のメイン訪問地です。

【北海道命名の地】
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そして踏査五日目。あれ?さっきも五日目だったなぁ。

アヘシナイからトンベツホまで同じ日にここまで歩いて来たってことかぁ・・・。
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そして、「開拓之碑」
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音威子府村の開拓はこの辺りから始まったようですね。
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裏にも何も書いてない・・・。
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結局、音威子府村でも歴史的なものは確認できませんでした。

しかし、この北海道で一番小さな自治体のこの土地が、北海道命名の地となっているのも感慨深いですね。



と、今回はほぼ消化不良のような旅になってしまいました。

しかたなし。調べてみるか。

【幌延町】公式HPより。--抜粋--

区分 年号・年月日 主な出来事
開基(入植) 明治32年(1899年) 福井県団体15戸が下サロベツに入植
戸長役場独立 明治42年(1909年)4月1日 幌延村外1ヶ村戸長役場が誕生
町村制施行 大正8年(1919年)4月1日 二級町村制施行により幌延村発足
豊富村の分村 昭和15年(1940年)9月1日 北部地区が豊富村(現・豊富町)として独立
町制施行 昭和35年(1960年)9月1日 町制施行により幌延町発足
管轄変更 平成22年(2010年)4月1日 留萌支庁から宗谷総合振興局へ移管

 

次は【中川町】

中川町は公式HPに「まちの歴史」として公開してくれていました。

区分 年号・年月日 主な出来事
開拓本格化 明治34年(1901年)〜 御料地の貸付が始まり、富山・岐阜県などから入植が進む
「中川村」名称誕生 明治39年(1906年) 行政区域として「中川村」の名称が生まれる
戸長役場独立 明治45年(1912年) 下名寄から分離し、中川村戸長役場が開庁
常盤村の分村 大正5年(1916年) 常盤村(現・音威子府村)が分村して独立
町村制施行 大正8年(1919年)4月1日 二級町村制施行により中川村が正式発足
町制施行 昭和39年(1964年)5月1日 町制施行により中川町発足

お次は【音威子府村】

区分 年号・年月日 主な出来事
開基・入植 明治29年(1896年)〜 咲来駅逓所の設置や三重県団体などの入植が始まる
分村・独立 大正5年(1916年)4月1日 中川村から分村し、常盤村が開庁
町村制施行 大正8年(1919年)4月1日 二級町村制施行により常盤村が正式発足
役場移転 大正14年(1925年)11月 咲来地区から現在の音威子府地区へ役場を移転
村名改称 昭和38年(1963年)4月1日 村名を改称し、現在の音威子府村となる

北海道の町村制施行にともない、大正8年に3村一斉に村として発足したのも、なにか面白いですねぇ。

 

とまぁこんな感じで歴史を確認してみました。

本編未訪問は「札幌市中央区、豊平区、清田区、厚別区」「奥尻町」「利尻町、利尻富士町、礼文町」そして「滝川市、砂川市、奈井江町、美唄市」となっております。

 

では、今回も読んでいただきありがとうございます!

次回もよろしくお願いします。

 

【次はどこいこうかな】

~再訪の旅~ 再び巡る積丹の裾野。変わらぬ景色の中に、今の自分に見える歴史の足跡

【たかさん】の北海道市町村来てみたよ! ~再訪の旅~

 

今回は #共和町 #神恵内村 #泊村 #岩内町 を再訪してきました。

過去記事はこちら

takavantabidaikiti.hatenablog.com

 

前回訪問時には、北海道をいろいろ知りたいと思ったきっかけの街でしたが、北海道市町村制覇を目前に思い出す事が多い旅でした。

 

では、最初の訪問は

【共和町】(きょうわちょう)

www.town.kyowa.hokkaido.jp

人口:5,639人(令和3年12月31日現在)

手元の資料では、北海道86/179番目の人口都市です。(令和7年4月調査資料)

 

そんな【共和町】ですが、道の駅好きとして、うれしいお話が!

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建設工事がちゃくちゃくと!
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けっこう大きな道の駅になりそうですね。

来年開業みたいですので、必ず行ってみます!

 

そして、前回も行ってた「幌似鉄道記念公園」。


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共和町を訪れたら、とりあえず寄ろうかなって場所。「幌似鉄道記念公園」

1985(昭和60)年に、73年間の歴史に幕を閉じた旧国鉄・岩内線の「幌似駅」が当時の姿のまま保存されている場所。かつて函館本線の小沢(こざわ)駅から分岐し、岩内へと結んでいた鉄路の記憶を今に伝える、沿線で唯一残された貴重な木造駅舎です。

大正8(1919)年の開業以来、昭和の激動期を経て廃線になるまで、地域の人々の暮らしや産業を支え続けてきました。一時は当時の共和村役場が近くにできたことで利用者が急増したという、地域の中心駅としての華やかな歴史も持っています。

役目を終えて40年以上が経った今も、ノスタルジックな駅舎内には当時の運賃表や鉄道グッズがそのまま展示され、ホームには客車(スハフ42)や貨車が静かに佇んでいます。

かつてこの場所に響いていたであろう、汽笛の音や人々の話し声。そんな旅情を肌で感じながらついつい眺めてしまう場所です。

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お次は、道沿いの看板をみて”おっ!”っと思い寄ってみた場所。

気になったら寄る。この旅の醍醐味。

 

【北海道原子力防災センター】
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とりあえず寄ってみたはいいけれど・・・。

何?なんの施設?

原子力規制委員会・原子力規制庁・泊原子力規制事務所・・・。
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免震構造の建物・・・。
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と、わからずじまいで建物を後にしました。

 

なんでしょね?とAIに聞いてみた。

お隣の泊村にある「泊発電所」で、もし万が一、重大な原子力災害が起きたときに、国・北海道・周辺の町村・警察・自衛隊などの関係者が一堂に集まる緊急事態の応急対策拠点です。専門用語で「オフサイトセンター」と呼ばれています。

災害が起きていない普段の日は、国の「泊原子力規制事務所」などが入っており、発電所が安全に運転されているかを厳しくチェック・監視する業務を行っています。

周辺の放射線量が高くなったとしても、中で対策本部が正常に機能し続けられるよう、高度な空気ろ過フィルターや、建物に入るための除染シャワー室などが備えられた強固な造りになっています。

 

「なぜ泊村じゃなくて、隣の共和町?」単純ですが、近すぎると災害時に機能しなくなる恐れがあるため、あえて少し離れた共和町に作られているそうです。地域の安全を支える裏方の施設があるんですね。

近くの宮丘という場所には「原子力環境センター」という北海道の施設もあるそうで、そちらは普段、周辺の海や農作物の放射能を調べるモニタリングを行っていて、一般向けの見学展示コーナーがあるらしいです。次の機会を作って行ってみたいと思いました。

 

そのすぐお隣にも施設が・・・。
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「西村計雄記念美術館」でした。
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早い時間だったので開館はしてませんでした。美術館は興味ない ので次へ。

あ、そうそう。景色が綺麗だよー
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いざ!共和町の歴史へ!と思うも、朝早すぎてまだ開いてない。(現在時刻7:30)

「共和町かかし古里館」
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戻ってきて入ろうかなぁ・・・。いい時間に戻れたらいいなぁ・・・。と、後ろ髪ひかれ。
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並びには旧学校かな?
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幌似小学校跡地でした。
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と、共和町の成り立ち、歴史には会えず。しかたない・・・。

 

1857年(安政4年)徳川幕府が幌似、発足に御手作場を開設(1868年/明治元年)

1882年(明治15年)御鉾内町から分かれ老古美村・幌似村・小沢村、堀株村から分かれて発足村・梨野舞納村が設置される

1897年(明治30年)前田村外2ヶ村戸長役場設置

1901年(明治34年)小沢村外1ヶ村戸長役場設置

1904年(明治37年)北海道鉄道線開通、小沢駅開業

岩内、小沢間馬車鉄道開業

1906年(明治39年)前田村、発足村で2級町村制を施行

1909年(明治42年)小沢村で2級町村制を施行

1912年(大正元年)岩内線開通、前田駅開業

1923年(大正12年)前田村、発足村で1級町村制を施行

1955年(昭和30年)小沢村、前田村、発足村の3村が大同団結、新村共和村誕生

1962年(昭和37年)国鉄岩内線SLに代わりディーゼルカー運行開始

1963年(昭和38年)らいでんスイカ初出荷

村南側の山系が「ニセコ積丹小樽海岸国定公園」に指定される

1969年(昭和44年)本道初の原子力発電所建設地、柏木地区に決定

青少年会館完成

(体育館と併せ共和村総合住民センターと総称する)

1971年(昭和46年)町制施行される

町制施行並びに合併15周年記念式挙行

1979年(昭和54年)共和、泊地区原子力発電所立地点変更を承認

1985年(昭和60年)国鉄岩内線廃止、73年間の歴史に幕

合併30周年、町制施行15年迎え記念式を挙行

1986年(昭和61年)北海道原子力環境センターがオープン、泊原発周辺を総合監視

1994年(平成6年)かかし古里館オープン

1998年(平成10年)メロン集出荷選果施設の共同利用を契機に銘柄を「らいでん」に統一

2001年(平成13年)全国初の「原子力防災センター」が共和町に設置される

2020年(令和2年)町制施行50年を迎え、記念式典並びに各種記念事業を実施

 

と、共和町公式HPより抜粋させていただきました。

 

 

【神恵内村】(かもえないむら)

www.vill.kamoenai.hokkaido.jp

 

人口:708人(2026年5月31日現在) の小さな村です。

手元資料では、178/179番目の人口規模で、北海道で2番目に小さな街となっていました。

 

「松浦武四郎歌碑」f:id:daikiti_taka:20260621143446j:image

松浦武四郎先生の偉業がここにも。

安政三年 4回目の蝦夷地調査を行い西蝦夷日誌をまとめた。

この中に神恵内の自然や風物を和歌に残した。それを記念した石碑だそうです。

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「本陣跡地」
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役場の前ですが、開拓百年を記念した石銘版です。

なぜ本陣なのかはわかりませんでした。


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そして「神恵内村道路元標」
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当時からここが神恵内村の中心だったことがわかりますね。

その真向いに役場があるなんて。すばらしい!

 

そして、海沿いを北上すると。

「一般国道229号開通記念碑」
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この険しい断崖に道路を通した先人に感謝すると共に、村民にはさぞ嬉しかったことでしょう。


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向かい側には神恵内の美しい日本海が広がっています。

ん~!いい景色!
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またやってきました、「道の駅オスコイ!かもえない」
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ここには「にしん街道」の碑があります。
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にしんで栄えた街の歴史が刻まれていますね。
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神恵内 探して歩く 歴史旅。

「神恵内村郷土資料館」
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なかなか立派な建物じゃあないか。いざ!
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はい。終了~。

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近くで施設管理しているような方を見つけたので、話かけてみたところ昨年までは開業していましたが、今年(令和8年)4月から閉鎖しているようです。

すぐ向かい側にはキャンプ場やコテージもありましたが閉鎖とのこと。話では熊問題ではないようです。ちなみに焼き肉用コーナーは開いていて、そのためのトイレも開いてました。再開はされるのでしょうか・・・。資料館入ってみたかった。

 

 

おとなりに行ってみましょう。

 

【泊村】(とまりむら)

www.vill.tomari.hokkaido.jp

人口 (2026年5月末日現在)  総数:1,367人

手元データでは、172/179番目の人口都市となっておりました。

 

移動がてら見かけたので行ってみよう!
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むむっ!期待高まるぞ・・・。
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「鰊御殿とまり」
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左側には受付があり、おっさん約1名/300円の入館料でした。ちなみにおばさんも1名300円のようです。小中学生のお子様は100円で入れます。

券売機で購入します。
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建物外で受付の学芸員さん?から簡単な説明を聞くことができました。

見どころ等紹介してくれるので、聞いてみた方がお得です!
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では、鰊御殿 川村漁場 潜入!
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※以下資料 鰊御殿とまり 撮影許可確認済み

おじゃましまーす。まずは入館してすぐ動画でこの建物の歴史を学びます。
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いただいたパンフレット。
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おや?こんなところで!!
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歴史散策たーいむ!

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慶弔9年 泊村から川白までを「フルウ場所」と名付ける 

喜永3年 このころ泊村、盃村、興志内村、堀株村、渋井 に居住

明治元年 明治政府樹立

明治2年 蝦夷改め「北海道」

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明治13年 岩内郡(堀株村・渋井村・茅沼村・臼別村)と古宇郡(泊村・盃村・興志内村)に戸長役場設置

明治42年 泊村、興志内村、盃村、茅沼村、堀株村合併「泊村」となる

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昭和31年 泊村で人口が一番多かった年 10,035人
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平成元年 泊原子力発電所一号機運転開始

平成3年 泊村役場新庁舎完成 二号機運転開始(北海道初の原子力発電所)
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立派な「梁」。

今では大金を積んでも手に入らない木だそうです。
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なかなか楽しい場所でしたので、実際に足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

車中泊場所と考えていたのですが・・・

当分は難しそうですね。

「盃野営場」

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泊村へ来たら寄って行って!

「原子力PRセンター とまりん館」
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風力発電機のブレードがあります。
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では、中へ。入館無料です。※以下資料 原子力PRセンターとまりん館
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おべんきょうコーナー
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泊発電所のあらまし
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タービン・発電機(実物大)
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2階には泊村とその近隣町村がわかる展示があります。
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おっとぉ!前回来た時には見逃してた?松浦武四郎先生。
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泊村と近隣町村の紹介があります。
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何回きても楽しいところです。プールもありました!
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【岩内町】

www.town.iwanai.hokkaido.jp

人口(令和8年4月末):10,442人

手元資料では49/179番目の人口規模でした。

この積丹半島南側では比較的大きな街です。

 

お昼時でしたので、今回もいきましょい!

一旅一ラーメン!

「青龍」さんへ!

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塩ラーメンをいただきました!
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ごちそうさまでした!

 

道の駅でさっそく購入。

岩内地ビール
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で、もう一度きてみました。

「野生ホップ発見の地」
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ホップが実り始めていました。
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ここにも「にしん街道」岩内町
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この旅で博物館や郷土館へ行く楽しみを感じ、発祥の地探索の起源になった場所です。

「岩内町郷土館」
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たら丸くん(なんか憎めなくて好き)
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岩内町外に住所を持つおっさんは入館料300円でした。

※以下資料 岩内町郷土館 写真撮影可能確認済み
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入ってさっそく展示してあります。歴史年表!
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この地は、村が出来て合併して町になるといった流れではなく、函館方面と同じように、幕府や新政府と深いつながりによって街になっていったようです。

明治5年 戸長・副戸長置く

明治12年 岩内古宇(フルウ)郡役所設置

明治30年 郡役所廃止 岩内支庁設置

明治33年 岩内町一級町村制施行

明治36年 岩内町役場新設

明治43年 岩内支庁廃止
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昭和18年 町内字名改正

昭和33年 岩内町役場庁舎落成

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平成5年 たら丸館オープン 道の駅に指定

平成6年 「野生ホップ発見の地」記念碑建立
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前回来た時には「ほー。」くらいで見てましたが、この道内を巡ってみた今、知っている名前が並んでいました!
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ライマン:炭鉱街でよく聞いた地質鉱山技師

ケプロン:札幌農学校設立の話で聞いた農務長官

メーク:小樽の港湾整備で聞いた港湾技師

クロフォード:三笠の公園の名前にもなってて、小樽の鉄道関係で聞いた鉄道港湾技師

アンチセル:野生ホップの発見と北海道でのビール産業の礎。地質鉱山技師

 

そして岩内町は北海道アスパラガス発祥の地!
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町費日本最初の漁港建設!
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北海道最初の水力発電!
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野生ホップの発見とサッポロビール!
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とまぁ、最初が盛りだくさんの街で見てて楽しいです!

 

おや?
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松浦武四郎先生が岩内の地に立った絵でした!
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アスパラガス発祥の地は前回も写真を載せてたので、信号待ちの車からパシャリ。
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そんな事で、岩内町巡りは楽しかった!

晩御飯調達へ町内の「LUCKY」さんへ!
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午前中に電話したところ、空きが1つあったので、すべり込みで入れました!

この日の車中泊は!

「いわないオートキャンプ場マリンビュー」
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近くには日帰り温泉が3か所もあり、管理棟には無料のシャワーもあります。

ゴミも投げられて快適!ゆっくりと旅の締めくくりを満喫できました。

 

今回は「共和町・神恵内村・泊村・岩内町」を~再訪の旅~にて巡ってみました。

今回のVAN旅はここまで!

読んでいただきありがとうございます! 

また次の旅でお会いしましょう!

次はどこの街に行こうかな!

 

 

 

〜再訪の旅〜 過ぎ去った日々の、消えない足跡。- 占冠・平取・むかわ、静寂のなかに眠る開拓の歴史-

「たかさんの北海道市町村きてみたよ!」

~再訪の旅~ 占冠村・平取町・むかわ町

さて、前回の続きみたいな感じです。

過去記事はこちら ↓

takavantabidaikiti.hatenablog.com

前回は過去ブログの中から「栗山町・由仁町・夕張市」を~再訪の旅~で巡ってみましたが、今回はその続き「占冠村・平取町・むかわ町」編となります。

 

じゃぁここから!

「占冠村」(しむかっぷむら)

www.vill.shimukappu.lg.jp

 

占冠村の人口統計(2026年3月末現在)総人口:1,391人 の小さな村ですが、

村中央部とトマム地区におおよそ分かれており、総人口1,391人のうち、427人(約30%)が外国人住民です。これはトマム地区のリゾート施設で働く方が多いためと考えられ、北海道内でも非常に珍しい人口構成じゃあないでしょうか。

 

 

最初の訪問は!

「占冠村物産館」「郷土資料室」

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昔、道の駅なのかと思って停まってしまった場所です。


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物産館とは言っても、現在はその目的を道の駅に移行し、休憩所や展示室として使われているようですね。2階にはレストランがあるようです。
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目的の2階、「郷土資料室」へ
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おおまかな展示物
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おっ!ありました、ありました。自分の目的はこれだけと言っても過言ではありません
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読み解いていきましょう!

明治時代
明治12年 勇払各村戸長役場設置。
明治22年 苫小牧外15ヵ村戸長役場設置。
明治28年 勇払郡鵡川外7ヵ村戸長役場設置。
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明治36年 静岡県より加藤宇平外6戸団体移住。 下富良野村戸長役場設置。
明治38年 占冠村創立、室蘭支庁管轄。
岩崎誠治がシムカプのアイヌ語に占冠の漢字を当て村名とする。
明治39年 占冠村、上川支庁管内に編入。
下富良野村外1ヵ村戸長役場設置。
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明治40年 武田孝一、金山駅逓取扱人となる。
明治41年 南富良野村外1ヵ村戸長役場設置。
双珠別小学校開校。トマム原野開墾に着手。
明治42年 岩井亮、水稲栽培に初めて成功。
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昭和5年 日高から発生した山火事が双珠別方面に延焼して開村以来の大山火事となる。 
昭和7年 南富良野村との組合を解き、独立占冠村となる。
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昭和23年 占冠村役場トマム出張所設置。
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昭和7年 単独村設立だとけっこう単独村になるまで年数がかかりましたね。

占冠村は昔、その険しい地形と立地により「陸の孤島」と呼ばれた厳しい時代もあったらしいいので、その影響でしょうかね。


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気軽に見学できますが、ご注意ください。

 

道東道4車線化に関する展示もありました。

村内には現場事務所や仮設宿舎等があちこちに出来ていて、今は占冠村の経済にもプラスに働いていそうです。
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すぐ横には「占冠駅」
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最近は路線の廃止があちこちにあるので、”あれ?電車来てんの?”って感じでしたが、

占冠駅 時刻表

【下り】帯広・釧路方面(トマム・新得方面)

  • 08:58 特急おおぞら1号(釧路行)

  • 10:39 特急とかち1号(帯広行)

  • 12:47 特急おおぞら3号(釧路行)

  • 13:58 特急とかち3号(帯広行)

  • 15:39 特急おおぞら5号(釧路行)

  • 17:39 特急とかち5号(帯広行)

  • 18:41 特急おおぞら7号(釧路行)

  • 20:19 特急とかち7号(帯広行)

  • 21:38 特急おおぞら9号(釧路行)

【上り】新夕張・南千歳・札幌方面

  • 07:55 特急とかち2号(札幌行)

  • 09:12 特急おおぞら2号(札幌行)

  • 10:07 特急とかち4号(札幌行)

  • 12:36 特急とかち6号(札幌行)

  • 15:13 特急とかち8号(札幌行)

  • 16:03 特急おおぞら4号(札幌行)

  • 18:13 特急おおぞら6号(札幌行)

  • 20:34 特急とかち10号(札幌行)

  • 21:13 特急おおぞら8号(札幌行)

と、上り下り各9本も走ってました。

しかも!「特急しか停まらない」特別な区間: 新夕張〜占冠〜トマム〜新得の間は普通列車が走っていないため、この区間内相互発着に限って、特急列車の普通車自由席に乗車券のみで乗れるという特例があるそうです。


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駅に占冠村の案内がありました。
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前回の旅では興味さえなく、見るところも行くところもないなぁ~

なんて思ってましたが、今なら逃さない!

「村発祥の地」碑
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中心部、道の駅からそれほど離れていない場所が発祥の地でした。
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説明書きは文字も薄れて読めません。
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隣には、占冠村歌!碑
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お次は、道の駅向かいの山を登った場所にあります。

「御即位記念碑」
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どうやら大正天皇陛下がご即位されたときの記念碑のようです。

大正四年・・・ 時代の流れと歴史を感じます。
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では、お次の街に向かいます。

「平取町」(びらとりちょう)

平取町の人口統計(2026年4月末現在)

  • 総人口:4,368人

手元資料(2024年1月時点)での人口順位は 100位/179市町村 でした。

中富良野町や訓子府(くんねっぷ)町とほぼ同規模の街です。

 

平取町最初は振内(ふれない)地区にある触れられる場所!

「振内鉄道記念館」f:id:daikiti_taka:20260501172814j:image


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かつての旧振内駅の跡地に建てられた施設です。

どこか懐かしい駅舎を思わせる建物が、当時のままの場所に佇んでいます。

館内には、実際に使用されていた信号機、切符、時刻表、保線用具、当時の貴重な写真などが所狭しと並んでいます。 ホーム跡には、蒸気機関車D51 797号機と、旧型客車が静態保存されていまいました。

この記念館の外にある客車は「ライダーハウス(簡易宿泊施設)」として利用されているとのことです(※開館期間中のみ)。


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鉄道の歴史も。
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展示物には手を振内ようお願いいたします!多少触れても大丈夫みたいですよ。
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右にある客車がライダーハウスになるみたいです。

テーブル等がありましたが、中は結構汚れていました。
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線路のこういう絵柄が好き
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男の子はこういうのが好きなんでしょ?的に男子大好きデゴイチ!
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おおー 999(スリーナイン)みたいでかっこええ!
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機関室へ入ることができました。
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かっこええ!かっこええ!

 

あ、「電子基準点」みっけ!
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電子基準点は最初、占冠村でみつけてそれ以来気になる存在。

 

では、「びらとり温泉 ゆから」でゆっくり風呂でも~~~

ではなく!
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レストランへ向かう!そう!
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今回も「一旅一ラーメン!」

平取町と言えばびらとり和牛ですわ。前回の旅でも外せなかった和牛・・・。

 

「和牛ラーメン」!!
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チャリーン ¥1,700  ごちそうさまでした。

 

平取町に来たらとりあえず行っておこうか。

「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」
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先に博物館に入ってみましょう。
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見学料はおっさん1人/400円でした。
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※以下資料「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」 写真撮影許可確認済み
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ゴールデンカムイの世界が広がってくる・・・
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おおっとー!松浦武四郎先生の地図が。
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”俺は不死身の杉本だー!”と叫びたくなる衝動をぐっとこらえました。
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写真に写りこまない様、毎回注意してますが、けっこうお客さんいました。
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博物館の奥側にある「沙流川歴史館」へ
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こちらでもアイヌ文化に関する展示がされていました。

北海道の歴史を見るとき、縄文時代から続く遺跡の数々とアイヌ、チャシは切れませんね。
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2階から沙流川の景色が静かに流れます。
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おや!ここにあった!
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平取町の歴史を紐解いてみましょか。f:id:daikiti_taka:20260501172658j:image

 

年代 平取町のあゆみ
寛文9年(1669)・シャクシャインの戦い
安政5年(1858)・松浦武四郎、門別川筋から平取に入り、貫気別~振内〜平取などを踏査
明治4年(1871)・戸籍法が制定される
明治32年 (1899)・戸長役場が門別から分置される(平取外ハヶ村戸長役場の設置)
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大正8(1919)▶平取村から日高村を分村
大正12(1923)・二級町村制により「平取村」と改称
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1945年(昭和20年): 平取村に開拓団が入植。
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昭和29年(1954年)「町制施行により平取町になる」
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そこそこの人口があったにも関わらず、町制施行は遅かったんですね。

 

と、年表もわかったところで次の街へいきましょい!

今回最後の旅は、ししゃもと恐竜の街

「むかわ町」

むかわ町の人口統計(2026年4月末現在)

  • 総人口:6,942人

手元資料では北海道人口65位/179市町村でした。

三笠市や安平町と同規模の街のようです。

 

むかわ町最初の訪問は

「郷土資料展示室」f:id:daikiti_taka:20260501172530j:image

だったのですがぁ・・・

どうみても町内会館・・・。閉まってるし。

しかも普通に町民しか入れなさそう・・・。
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GoogleMapを見る限り、資料はありそうなんですけどね。

残念でした。

 

すぐ近くなので寄ってみました。

「鵡川駅」
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町名は「むかわ町」なのに一部「鵡川」の漢字が使われてる・・・。

この違いは何なんだろう?AIに聞いてみよっか。

#もともとは、漢字の「鵡川町(むかわちょう)」でした。しかし、2006年(平成18年)に隣の「穂別町」と合併して新しい町を作るときに、現在のひらがなの「むかわ町」になりました。鵡川町と穂別町が一つになる際、どちらかの名前をそのまま使うのではなく、新しいイメージを持たせるために表記を変えるケースは多いです(えりも町やせたな町も同じですね)。

駅名は、町の名前が変わっても当時のまま据え置かれることがほとんどです。 JR(旧国鉄)の駅名は、その土地の歴史をそのまま留めている「タイムカプセル」のようなもの。そのため、町名はひらがなになっても、駅の看板や切符には難読漢字の「鵡川」が凛として残っているわけです。

駅舎に掲げられた『鵡川』という力強い漢字の看板。それは開拓期から街を支えてきた川の名であり、かつての町の誇りかのよう。一方で、今の街を歩けば、そこにはひらがなの『むかわ町』という柔らかな名前が溢れている。難読な漢字が刻む『歴史』と、ひらがなが紡ぐ『今』。その両方が、この街の消えない足跡なのですね。

なるほど~。平成の大合併のときに変わっていたんですね。

 

これこれ!

むかわ町と言えば「ししゃも!」昔、どこかで見たこの伝説は、今も記憶に残ってたんですよ。
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柳葉魚(シシャモ)の伝説

昔、上天の雷神の妹神が退屈になり、沙流川と鵡川の見える、シシリムカの神山の頂におりて、川下の部落(コタン)の方を見ると、部落の家々から立ちのぼる煙が少い。それでよくよく注意して見ると、人々が静かに話をしている声が聞えてきた。それによると川筋の部落では、食糧が不足して困っているのを、神様達がうっかりして見落していることがわかったので、妹神は天上に向って、大声で危急を知らせる呼び声をあげた。

天上の神の国のススランベツのほとりに居た神々は、女神の呼ぶ声にびっくりして、一番遠力の早い梟(イソサンケカムイ)の女神が、食糧(ハルラマツ)の魂を背負い、ススランベツのほとりの柳の枝を状(タバ)にして、急いで地上の神々の集っている、シシリムカの神山に天降って、食糧の魂と柳の枝を神々に渡した。

神々はそれを沙流川に流そうか、鵡川に流そうかについて相談したが、沙流川は水がきれいだが男川で荒いから、沙流川には春になってから、キウリ魚になる食糧(ハルラマツ)の魂を流すことにして、女川の鵡川の方へおろすことになり、神々は柳の葉に食糧の魂を入れ、これを鵡川に流した。

ところがこの様子を天上からみていた雷神の妹神が、魚の数を数えてみると、天からおろした柳の葉の数よりも少ないので、どうしたことかと調べてみると、梟の女神が神風に乗って地上に舞いおりるとき、あまりに神風の勢いが激しかったので、柳の半分が八雲のユーラップ川に落ちて、川の中流にひっかかったまま半ばくさりかけていることがわかったので、急いでユーラップの神(アトイコロエカシ)に命じて、改めて神の魂を入替えて、鵡川と同じ柳葉魚(シシャモ)にし、八雲の部落の酋長(コタンサッパ)に夢でそのことを知らせた。

一方鵡川に流した柳の葉でつくった魚の管理を、神の老神(アトイコロエカシ)にまかせることになったが、沖の神はその魚の川に遡るのを、更に近海の鮫(シハテャンクル)の神に言いつけたので、鮫の神は鵡川の川口の神(シベツウンカムイ)や入江の神(トマリオルカムイ)の神と相談して、鵡川の人々の夢枕に立って、柳葉魚ののぼることを知らせたのである、と。

(新井田勝雄氏伝承、更科源蔵記)f:id:daikiti_taka:20260501173508j:image

たぶん「むかわ町」へ行くたびに思い出すんだろうなぁ~

ししゃもの街鵡川だもんなぁ~

 

では、遺跡なんかもいっちゃいましょうか。

「鵡川盛土墳墓群」f:id:daikiti_taka:20260501173049j:image

・・・。おーぃ。墳墓どこですかー?

この明らかに畑っぽい向こうですかー・・・。
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はい!次!つぎ!

「鵡川稲作発祥の地」f:id:daikiti_taka:20260501172558j:image

むかわ町は漁業の街のイメージですが、きちんと稲作もありましたね。

このちょっと開けた土地に開墾の鍬が降ろされたんですね。
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つぎも石碑!

「二宮開基百年記念碑」
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石碑の奥には東屋?
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なんか布団が怖かった・・・。
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むかわ町中央部から北へ向かいやって来ました

「旧穂別町」むかわ町穂別地区

 

穂別も合併前は独自の文化を歩んでおりました。

「水田発祥の地」(旧穂別町)
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穂別市街地からはけっこう離れた場所にありました。

ほんと鵡川町の方が近いんじゃない?ってくらい。
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いまでも静かに佇んでおります。
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この山間部で水田始めたんだなぁ~

 

むかわ町からけっこう走り着きました。

「むかわ町穂別総合支所」(旧穂別町役場)
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穂別町の名残もちゃんと残ってました。
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合併の記憶が残っていてうれしい。

 

穂別と言えば「恐竜!」

で、来てみました!
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オープン?
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「むかわ町穂別恐竜博物館」恐竜館
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訪問日は4月30日だったのですが、4月25日にオープンしたばかり!
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共通観覧券はおっさん1名600円でした。
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では恐竜の世界へ!
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※以下展示物は「むかわ町穂別恐竜博物館 恐竜館」 写真撮影可能施設でした。

まずは”アンモナイト”
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入っていきなり!出ました!でかい!
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((f:id:daikiti_taka:20260501172413j:imageカムイサウルス


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これがなかなか大きさがわかりやすい展示でした!

床ガラスが綺麗すぎて落ちるんじゃないかと思ったほど!
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詳しくは博物館へ足を運んで、実際に見てください。楽しいところですよ!

 

顔出し看板
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お次は道路はさんでお向かいにある、

「海洋化石館」
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※以下展示物は「海洋化石館」写真撮影可能施設です。
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まずは”アンモナイト”
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「穂別の名前が付けられた新種のモササウルス。モササウルス属としてはアジアで初めて記載」
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もちろん北海道遺産として登録されてました。
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そして博物館のようにお客さんは来てないようですが、

「中村記念館」
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中村平八郎氏についてはAIに聞いてみよう!
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1. 穂別開拓の先駆者

中村平八郎氏は、1892年(明治25年)に石川県から入植しました。当時はまだ原始林が広がる未開の地でしたが、彼は私財を投じて小作人を呼び寄せ、大規模な農場(中村農場)を拓きました。これが穂別の街づくりのスタートラインとなりました。

2. インフラ整備と教育への情熱

彼は単に自分の土地を耕すだけでなく、地域全体の発展に尽力しました。

  • 道路・橋の整備: 陸の孤島だった穂別に道を通し、物流の基盤を作りました。

  • 教育の普及: 私立の小学校(現在の中村記念館のルーツに関わる教育施設)を設立するなど、子供たちの教育に並々ならぬ情熱を注ぎました。

3. 「自治」の確立(町村制への貢献)

穂別が似湾(にわん)村から分立し、自治体として歩み始める際にもリーダーシップを発揮しました。彼のような先覚者の努力があったからこそ、厳しい環境下でもコミュニティが維持されたのです。

 

この街の発展に欠かせない人物だったんですね。


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和の落ち着く畳のお部屋でした。

昔の家の匂いがしましたよ!
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駐車場へ戻る際に気が付いた!! 

「恐竜出没注意」看板! なかなか洒落てて、思わず吹き出しました!笑
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博物館を後にして向かった穂別の入口付近には

「ホッピー」がありました。

「ホッピーのモニュメント」Google mapにもきちんとでてきますよ!
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このまま穂別キャンプ場へ泊まろうかと思い行ってみたのですが、

くしくも5月からの営業開始・・・。

 

とりあえず車を走らせ、前回の旅でも来た「由仁町」まで。

ここで「一旅一ラーメン!」

 

「無化調みそラーメン 喜亭(きてい」」さんへ!
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けっこうこの道通ってんのに、気が付かなかったなぁ。
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いっただきまーす!
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ごちそうさまでした!^^ (口コミを近々GoogleMapへ書いときます)

 

そして由仁町内「ホクレンショップ 由仁店」さんで買い出しを。
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その後は南幌町まで行き、困ったときの南幌キャンプ場。

のんびり過し、翌朝帰宅となりました。

管理人さんの話によると、南幌温泉ハート&ハートの隣にオートキャンプ場できるんですってね。昨年のモニターでは満員御礼だったらしいですよ!

 

という訳で今回は「占冠村・平取町・むかわ町」を~再訪の旅~にて巡ってみました。

今回のVAN旅はここまで!毎回長いブログですが、読んでいただきありがとうございます! また次の旅でお会いしましょう!ありがとうございました。

次はどこの街に行こうかな!

 

 

 




 

〜再訪の旅〜 知っている街の、知らない記憶。- 南空知・開拓の碑を巡る -

【たかさん】の北海道市町村来てみたよ! 

~再訪の旅~ 長沼町、栗山町、由仁町、夕張市

 

久しぶりの記事となってしまいましたが、皆様お元気でしたでしょうか。

今回は「長沼町・栗山町・由仁町・夕張市」を再度巡ってきました。

↓過去記事はこちら

takavantabidaikiti.hatenablog.com

長沼町は別旅で。

長沼町市町村巡り

 

では、「長沼町」から~再訪の旅~はじめます!

 

長沼町公式HPはこちら ↓

www.maoi-net.jp

 

場所は「道の駅マオイの丘公園」内。

「松浦武四郎紀行足跡之碑」

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  • 出生: 文政元年(1818年)、現在の三重県三雲町(現・松阪市)に生まれました。
  • 探検の足跡: 16歳から全国を遍歴し、弘化2年(1845年)に初めて蝦夷地へ渡りました。その後、生涯で6度にわたり蝦夷地、樺太、千島を探検しました。
  • 北海道との関わり: 明治2年(1869年)に開拓判官となり、北海道の国郡区画や道名、郡名の選定を行いました。彼はアイヌ民族に対しても深い愛情を持って接し、その稀に見る人間性は現代の私たちにも通じるものがあると記されています。
  • 晩年: 明治21年(1888年)に70歳で亡くなりました。この碑は、彼の神仏崇敬の念と、若くして亡くなった長女を追悼して明治8年に自ら建立したものを基にしています。

と、松浦武四郎先生のことが書かれています。
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愛用したという鍋のレプリカが飾られています。
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そして、これは知らなかった。

「空知稲作発祥の地」
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ほえー 米どころ空知の稲作がここから始まった!
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「道の駅マオイの丘公園」
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地元農産物の販売を始め、お土産品、レストランもある北海道でも人気な道の駅です。

公園内には他にも色々な石碑等があります。

近くに行ったら是非寄ってみてくださいね。

 

 

もうちょい長沼町の歴史を探してみましょう。

行ってみたのは

「タンネトー記念碑」
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ここ「長沼」が「長沼」である由縁の地であります。
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碑文
長沼町開基の第一鍬者、吉川鉄之助氏は明治二十五年村名選定にあたり当時平田農場内に細長い沼があるをもつて「長沼」と名付ける。これはアイヌ語で「タンネトー」というこの地名については安政年夏松浦式四郎がこの地を通ったときの夕張日誌に「タンネトーありその巾六-七丁長さ一里余」ど記されている又明治十九年植民地選定事報文及び図面にこの沼ありと示されている。

昭和五十年ほ場整備事業の施行によつて沼の姿は消滅したが町名発祥の由緒に鑑み記念碑を建立し史跡とする。
昭和五十二年七月 建立
タンネー記念碑建立協賛会

 

と、細長い長い沼があるから「長沼」。

そのまんまやーーん!

いいんですいいんです。こう言う単純なのが長く愛される地名なんですよね。

 

敷地には不動明王様が祭られております。
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北にちょいと走るとあるのが、

「吉川鉄之助入植の地(長沼町教育発祥の地)」
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長沼町のはじまりでもありました。

 

続いて「発祥公園」
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公園内にはいくつかの石碑があります。
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「長沼公立学校発祥の碑」
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長沼へ入植した「吉川鉄之助」は初代戸長になってたんですね。
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映画かなにかが上演された記念植樹
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上演はたぶんNetflixやYouTubeではないと思います。←

 

薄くなってよく見えない石碑もありました。
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記念保護樹(カラマツ)
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この木は、樹齢60年のカラマツです。

~~~中略~~~

昭和50年6月21日指定
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・・・・・ん? 今・・・令和8年・・・ 111年!!!

樹齢111年に達したカラマツでした。

これからも”ながーーく”見守っていてくれるのでしょうね。

 

では、お隣の街へ。

 

と長沼町を後にして向かったのは

 

「栗山町」(くりやまちょう)

www.town.kuriyama.hokkaido.jp

 

栗山町では前回、追加の旅で開拓記念館を回っているので、その他の歴史的風景を探しにきました。

「栗山ふるさと史跡」が15個あるらしい。その一部をみてみましょう。

 

「No13/15 角田渡船場跡」
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栗山町開拓記念館で学んだ、泉麟太郎さんが出てきましたね。
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現在の栗山町はかつて、由仁から分村した「角田村」でした。
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「角田村戸長役場跡」
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「角田村道路元標」
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ほぉ~ 設置が定められていたのですな。

他の市町村でもいくつか見た記憶があります。
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で、またまた渡船場跡

「No15/15 多良津渡船場跡」
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角田迂回では遠いため渡船場を開設したそうです。

各地で渡船場に行っているけど、現地でみると”ここを船で渡ったんだな”と感慨深いです。昔はどんな川だったんだろう等と想像も絶えません。

 

もういっちょ!

「No14/15 円山渡船場跡」
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渡船場跡の連続になってしまいましたが、生活に欠かせない渡船場のようで、子供たちの勉強にも大事な船だったようです。

雪の寒い冬もここを渡って教育所(学校)へ行ったんだなぁ・・・
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「開拓記念公園」
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この街にも記念公園が。
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なにやら開拓を記念したオブジェがいろいろあるようです。


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では、栗山町を後にして栗山町の母村になるのかな。

「由仁町」

www.town.yuni.lg.jp

 

由仁町の人口統計 ・総人口:4,436人

手元資料では道内 97番目/179市町村の人口規模でした。

佐呂間町や今金町と同規模のようです。

 

また来てみました。「ゆめっく館」

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郷土館、資料館、博物館に行くきっかけにもなった「ゆめっく館」今の視線でもう一度みてみよう。

※以下写真資料「由仁町ゆめっく館」(写真撮影許可済み)

 

やはりここのマンモスとヘラジカはスケールが違うなぁ。
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きっと道内でも5本の指に入るの大きさかもしんない。
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おおまかな展示物
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前回の訪問では気にも止めなかった歴史年表
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確認してみよう。


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1868(明治1年)明治維新 1万2千戸 5万8千人
1869  (明治2年)開拓使設置 蝦夷地を北海道と改称
1886 (明治19年)北海道庁設置  5万9千戸 28万7千人

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1886(明治15年)開基一年 下国校三、月寒村より由仁町古川へ入地。
沼山平七、由仁町へ入地。
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1889(明治22年) 明治憲法発布
 北海道炭礦鉄道会社設立
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1892(明治25年)由仁村設村
由仁村戸長役場新設 場所 (喜多村建設前)
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1893年(明治26年) 由仁村に戸長役場が設置され、由仁村、長沼村、角田村、登川村の4村を管轄

1894(明治27年)日清戦争

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1895(明治28年)由仁村外二ヶ村戸長役場となる(長沼が分離)
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1897(明治30年)由仁外一ヶ所戸長役場となる(登川分離)
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1900(明治33年)由仁村戸長役場(角田村を分離)となる
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1902(明治35年) 由仁村、二級町村制施行される
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1919(大正8年)由仁村に一級町村制施行
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1919(大正8年)に一級町村制施行なんてはやい!

 

1923(大正12年)戸長役場全廃、町村制施行される 
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1947年(昭和22年)現在の「地方自治法」が施行

昭和25(1950) 人口12,808 11月1日 町制施行により「由仁町」となる

由仁町公式HPより抜粋

無事現在の「由仁町」になりました。

 

そしてマップ上にでてきたら外せない。

「松浦武四郎踏査記念板」

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由仁で三泊していたようです。現在の由仁町に第一歩を印した和人!
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松浦武四郎先生の偉業は今後の旅でも随時お伝え致します。

 

「開拓百年碑」

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Googlemapでは”閉業”となっておりましたが、石碑がみられますし、正面駐車場にも車両乗り入れが可能でした。(Googleへ変更を送信しておきました)
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AI解析による概要では

  • 開拓の歴史: 明治22年に夕張川周辺で始まり、密林の開墾、熊笹の刈り取り、排水作業を経て肥沃な農地へと変貌しました。
  • 農業の発展: 特に豆や馬鈴薯の産地として名高く、昭和37年の大夕張ダム完成により、さらに豊穣な地となりました。
  • 現在の状況: 岩内地区は968ヘクタールの面積を持ち、町内第一の保有面積を誇る農業地帯です。
  • 碑の建立: 開拓から百年を迎えるにあたり、176名の住民が先人の偉業を称え、感謝と繁栄を願って昭和63年9月に建立されました。

※微妙におっさんが写っていますが拡大禁止※笑


遺跡調査にも向かってみた!

「岩内遺跡」
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ん~ おじさんは忙しいのだ。200mも歩いてらんないのだ。

決して歩くのがおっくう辛いわけではないのだ。

 

さぁ!お次の街

「夕張市」

www.city.yubari.lg.jp

 

夕張市の人口統計 ・総人口:5,707人

(令和8年/2026年3月31日現在)

手元資料では75番目/179市町村の人口規模でした。

鷹栖町、新十津川町と同規模ですね。って、けっこういるな・・・。

 

「一旅一ラーメン!」と行きましょう!

っと! 夕張と言えばカレー蕎麦の街。
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夕張の人気店「栗下食堂」さん へ!
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蕎麦じゃあなく、やっぱりラーメンをいただく!!

ラーメンメニュー最初の「味噌ラーメン」!
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ごちそうさまでした!(このブログでは味の評価はしておりません。口コミはGoogleMapにて掲載中!おかげさまでローカルガイド-レベル8)

 

ラーメンもおいしくいただいたところで、

「北炭夕張炭鉱(株)夕張新炭鉱」
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やっぱり夕張は石炭の歴史なんですよね。
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おぉおおー!迫力!
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殉職者「慰霊碑」にも手をあわせてきました。
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日本の発展、北海道、空知の発展に尽力いただき殉職された方々のご冥福をお祈りいたします。

 

夕張の石炭がなかったら、こんな急速な発展はなかっただろう。

そしてその動脈として道内市町村の発展を支えた鉄道。

北海道、空知の歴史とは切っても切れない深いつながりです。

 

「旧南大夕張駅 南部列車公園 

三菱大夕張鉄道車両保存地」
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看板が・・・
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て・・・!!鉄人28号!?!?
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を思わせるフェイス。(初期の方)

 

鉄道省 苗穂工場 昭和15年  !!!鉄道省?!
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AIに確認してみよう!(※AIはハルシネーション{本当のような嘘をつくこと}を起こします。ご注意ください)

1. 鉄道省とは?

簡単に言うと、**「かつて鉄道を直接経営していた国の官庁」**のことです。

  • 成り立ち: 明治時代は「鉄道院」など名前がコロコロ変わりましたが、大正9年(1920年)に独立した官庁として「鉄道省」が誕生しました。

  • 役割: 今のJR(当時は国鉄)の運営だけでなく、全国の私鉄の監督や、自動車(国鉄バス)の運営も行っていました。

  • その後: 昭和24年(1949年)に、行政組織から切り離されて「日本国有鉄道(国鉄/JNR)」という公共企業体になり、さらに1987年に今の「JR」へと民営化されました。

つまり、「鉄道省」という銘板があるということは、戦前の国家が威信をかけて作っていた時代の証拠なんです。


2. 苗穂工場(昭和15年)の重み

たかさんが見た機関車、昭和15年(1940年)製ということは、まさに**「皇紀2600年」**という節目の年に、地元の苗穂(札幌)で作られたものですね。

  • 地産地消: 北海道の厳しい寒さや、石炭輸送の過酷な環境を知り尽くした苗穂の職人たちが、戦時色が強まる中で心血を注いで造った車両です。

  • 三菱との関係: その鉄道省(国)が作った車両が、のちに民間の「三菱石炭鉱業」に払い下げられ、夕張の石炭輸送を支え続けた……という、官民一体となった北海道開発の歴史がその1台に凝縮されています。

 

空知の鉄道発展に思いを馳せながら次に向かいます。

 

「シューパロ湖」
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シューパロ湖(夕張ダムおよび新夕張ダム)の底には、かつて鹿島地区(大夕張)という活気ある炭鉱の街が沈んでいます。最盛期には2万人近い人々が暮らしており、学校や映画館、病院などが立ち並ぶ大きなコミュニティがありました。

湛水(たんすい)面積は日本で第2位、貯水容量は第4位という、まさに国内屈指の巨大ダム湖です。


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ダムに沈んだ街
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みなさんが立っているこの場所は、大夕張の南側の高台にあった「夕張東高等学校」の跡地です。今は鹿島眺望公園となっで熱いの場となっています。〜略

 

ダムに沈んだ街は北海道内にもたくさんありますね。

またどこかで探してみようかな。

 

ところでこの旅の目的、夕張の成り立ちがぜんぜんわからんかったな・・・。

しかたない。公式HPさんに頼りますか。

※以下資料 夕張市公式HPより抜粋

 

明治7年(1874年)

開拓使雇米人鉱山地質学者ベンジャミン・スミス・ライマン氏探検隊一行が、夕張川をさかのぼり地質調査。上流に炭層のあることを推定発表

明治21年(1888年)

北海道庁技師坂市太郎氏(ライマン探検隊の随員)、シホロカベツ川上流にて大炭層の露頭を発見

明治22年(1889年) 

5月:夕張採炭所創設
11月:北海道炭鉱鉄道会社創立(北炭の前身)

明治23年(1890年)

4月:夕張炭山開坑着手
8月:登川村設村、村界告示され岩見沢村戸長役場の管轄となる
8月:岩見沢、角田、夕張間道路完成

明治25年(1892年)

3月:夕張炭山採炭開始
11月:追分、夕張間鉄道開通(夕張と紅葉山駅が開設)

明治30年(1897年)

7月:由仁村戸長役場より分離、登川村戸長役場として独立
12月:新夕張炭山開坑に着手する

明治39年(1906年)

4月:二級町村制が施行、登川村となる

明治40年(1907年)

7月:大夕張炭鉱会社創立

明治42年(1909年)

8月:登川炭鉱開坑

明治44年(1911年)

6月:清水沢、大夕張間専用鉄道敷設完成開通
12月:登川鉱、楓間専用鉄道開通

大正元年(1912年)

6月:大夕張炭鉱会社を三菱鉱業株式会社が買収、同社の経営

大正2年(1913年)

12月:沼ノ沢、真谷地間に専用鉄道施設

大正5年(1916年)

7月:楓、登川間鉄道開通(国営)

大正7年(1918年)

2月:登川村を夕張町と改める

大正8年(1919年)

4月:夕張に一級町村制を施行

大正9年(1920年)

10月:第一回国勢調査施行(人口51,064人、世帯10,840)

大正15年(1926年)

10月:新夕張、栗山間鉄道開通(夕張鉄道株式会社)

昭和4年(1929年)

6月:南大夕張、北大夕張間に三菱鉱業所専用鉄道敷設開通

昭和5年(1930年)

11月:栗山、野幌間鉄道開通(夕張鉄道株式会社)

昭和18年(1943年)

4月:市制施行
5月:夕張市議会議員選挙執行

昭和30年(1955年)

7月:大夕張ダム建設工事着工

昭和37年(1962年)

3月:大夕張ダム完成。名称はシューパロ湖となる

昭和41年(1966年)

10月:三菱鉱業南大夕張鉱が新鉱開削に着手

昭和45年(1970年)

8月:三菱南大夕張炭鉱操業開始
10月:北炭夕張新鉱開発着工

昭和48年(1973年)

5月:三菱大夕張炭鉱閉山

昭和50年(1975年)

3月:北炭平和炭鉱閉山
6月:北炭夕張新炭鉱営業出炭開始

昭和52年(1977年)

10月:北炭夕張新第2炭鉱閉山

昭和53年(1978年)

6月:市役所庁舎新築落成
7月:石炭の歴史村建設工事着工

昭和55年(1980年)

3月:北炭清水沢炭鉱閉山
3月:夕張市新総合開発計画の策定
7月:石炭博物館開館

昭和56年(1981年)

3月:増補改訂夕張市史発行
10月:石勝線営業開始。紅葉山駅を新夕張駅と改名

昭和57年(1982年)

10月:北炭夕張新炭鉱閉山

昭和58年(1983年)

6月:開基95年、市制施行40周年、石炭の歴史村全村オープン記念式典挙行

昭和62年(1987年)

10月:北炭真谷地炭鉱閉山

昭和63年(1988年)

10月:開基100年、市制施行45周年記念式典挙行

平成2年(1990年)

3月:三菱南大夕張炭鉱閉山

平成18年(2006年)

6月:財政再建団体入りの表明

平成19年(2007年)

3月:財政再建団体入り

2026年現在は2027年(令和9年)3月末までの完済を目指して計画が進められています。

 

と、実際に年表で見たかったところですが、石炭がもたらした人口の増加により、

1918年(大正7年)に一級町村となり、そのわずか1年後には町制を施行。

北海道の町村制施行の歴史の中でも、急速に発展した稀有な例ではないでしょうか。

由仁で見てきた「登川村」どこだろ?と思っていたら夕張のことでしたね。

 

さぁて。歴史巡りはこの辺までにして。

 

 

 

寝床を探しに安平町へ移動。

晩御飯の買い出しをば。「FRESH IN GLOBE NAKAMORI」(追分店)さんへ。
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地元でも貴重なスーパーとなっておりました。
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買い出しを済ませたら、旅の楽しみ温泉で!

「安平町ぬくもりの湯」
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いいお湯でしたー!施設も綺麗でさっぱりさっぱり!
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この日は「道の駅あびらD51ステーション」にて仮眠をとらせていただきました。

中で売ってた”からあげ”おいしかった!
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では、次の旅へ続きます。

「札幌の原点」を辿る。開拓者たちの足跡を巡る旅 ≪北区・東区・白石区≫

 【たかさん】の北海道市町村来てみたよ!

 

【明けましておめでとうございます。

   本年もどうぞよろしくお願い致します】🐎

 

これは北海道の道の駅全駅制覇しても、振興局単位のキャンプ地を制覇しても、まだまだ北海道にはきちんと見ていない市町村が多いなぁと思った【たかさん】が、道内市町村を巡るお話です。

 

気が付けばブログにしてから3年目に入りました。

いつも読んでいただきありがとうございます。

 

先月はキャンプに行っておりまして、久々の更新です。皆さんに「へぇ〜」をお届けできるよう、引き続きのんびり更新していきますね。

 

令和8年(2026年)からはAIを活用しながらお話しを進めて参ります!

 

では、新年一発目!~再訪の旅~では物足りない!

行ってきました札幌市巡り! 今回も長いよ!時間を見つけて読んでね!

 

【札幌市北区】篠路から始まる、開拓の最前線

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2025年11月現在 人口:283,966人

札幌市全10区の中で人口第1位です。

道内市町村で言うと、北海道第二位の都市「旭川市」に次ぐ人口規模です。いやぁー多い!!「函館市」よりも多いんですよ!

大学や商業施設が多く、圧倒的な活気がありますね。

 

にしても・・・人口に対して役所の建物小さくない??
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ここで28万人を支えているとは...

 

最初の訪問は

「屯田兵顕彰之像」
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さすがに敷地内は雪で埋まっており、近くまでは行けませんでした。
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1889年(明治22年)にこの地に入植した「屯田兵第一大隊第四中隊」の開基100年を記念し、1988年に建立されました。

像のモデルは、当時の指導者であった中隊長・渥味直茂(あつみ なおしげ)大尉です。

軍装に身を包んだ大尉が遠く空を指さす姿が特徴的で、台座には、熊本、山口、和歌山など全国から集まった220家族1,056名の入植の歴史が刻まれています。


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敷地内には「水田開発記念碑」「忠魂碑」「屯田兵第一大隊第四中隊本部跡の碑」等がありました。
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そう言えば、戊辰戦争が終わった直後の明治初期、なぜ「札幌」が選ばれ、開拓の拠点となったのか。

このお話しはしていなかった様な気がします。

 

調べてみると、それまで北海道の中心だった「函館」や「松前」ではダメな理由がいくつかありました。

• 位置が南すぎる: 当時、樺太(サハリン)にはロシア人が増え、南下してくる脅威がありました。函館は本州に近すぎて、北海道全体の防衛や奥地の開発には向いていなかった。

• 平地が少ない: 函館や松前は山と海に囲まれており、将来的に何十万人も住むような「大都市」を建設するための広い土地がありませんでした。

2. 札幌が選ばれた「3つの決め手」

1869年(明治2年)、開拓判官の島義勇(しま よしたけ)という人物が札幌を訪れ、この地を本拠地に決めました。その理由が以下の3点です。

1. 石狩平野の広大さ

2. ロシアを睨む「北」の拠点

3. 豊かな資源と水

「ロシアへの防衛(北方警備)」と「京都のような巨大都市を創れる広大な土地」そして「資源」という条件を、札幌が奇跡的に満たしていたのですね。 

 

また、小樽港が札幌の玄関口として機能した事、 日本で3番目の鉄道「官営幌内鉄道」が早くから敷かれた事、大友堀(現在の創成川)などの運河が掘られ、石狩川の支流と繋がっており、小樽港に入った荷物を、小さな舟に積み替えて札幌のど真ん中まで引き込んでいた時期もあります。

札幌が成功したのは、内陸の欠点(海がない)を、小樽という「外付けの港」と、それを結ぶ「鉄道・運河」で完璧に補ったからと考えられるようです。

 

【屯田郷土資料館】
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こちらで北区の屯田兵について学んでみましょう!
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おや・・・?午後1時から?

と残念そうにしていると、近くに居た女性が声をかけてくれまして。「特別ですが開けましょうか?」と。

😃✨はい!お願いします!

と、通常開館前ですが特別に開けてくださいました!

 

ありがたやー! 潜入🫡
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かつて「篠路兵村(しのろへいそん)」と呼ばれたこの地の開拓の歴史を伝える施設です。

単なる公立の展示施設というだけでなく、地域の住民が寄付を集めて開設に尽力したという「地域愛」に支えられた運営が大きな特徴です。

入館料は無料でした。

館内は2階建てで、約4,000点もの貴重な資料が収蔵されています。

屯田地区はもともと泥炭地で水害が多く、開拓は困難を極めました。

• 巨大な排水溝の建設: 湿地を農地に変えるための苦闘の歴史がパネルや模型で紹介されています。

• 札幌の米どころ: 昭和初期には広大な水田が広がっていた歴史があり、当時使われていた農機具も豊富に展示されています。

 

※以下資料 屯田郷土資料館

(札幌市北区屯田5条6丁目3-21)

※写真撮影許可済み
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まずは開拓民がどこから来たのか。現在の「石川県・福井県・和歌山県・徳島県・山口県・福岡県・熊本県」から北海道に夢を持ってきたのでしょう。


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ごあいさつ

それぞれのまちには、開拓の精神があり、それを象徴する人物や事柄がその歴史に顕在します。札幌の場合、屯田兵がそれにあたると思います。

屯田兵が北の大地に入値し、過酷な自然環境のなかで行われた開望に、血のにじむような苦労があったことは想像するに難くありません。彼らのたゆみのない努力と不屈の精神が受け継がれ、今日の札幌が築かれたと申すことができましょうし、また「屯田」という地名にその名残がみられるように、今もその精神は脈々と息づいています。

ご観覧の皆様には、風雪の年輪が刻まれた遺産に触れ、逞しい先人の心を知って頂き、それが札幌の明日を切り開く大切な糧となりますよう願っております。

昭和6年1月3日

札幌市長板垣 武四

 

ごあいさつ

屯田地区は明治22年、北海道の開拓と警備という二大使命を担った220名の屯田兵とその家族によって、篠路兵村としてに誕生致しました。

当時は、うっそうとした林地や湿地帯であり、又寒さ厳しくその自然条件は想像をするものがあったと思われます。しかし、先人運は森林を切り開き、温地を耕し、自然の脅威と戦いながら子孫永道の栄を願って現在の屯田の礎を築き、これを受けいだ先輩各位のたゆまぬ努力によって現在の発展を迎えることかできました。

〜以下略

と瑠々書かれています。

 


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先ほどの石碑のパネルがありますね。現地では読めなかったんですが、「開拓碑」でした。

 

なぜ屯田兵を
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屯田兵は兵隊を兼ねた開拓者
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屯田兵の誕生
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道内の屯田兵村
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これだけ道内の市町村を巡っているのに、屯田兵村はあまり見てこなかったですね。

札幌から空知、上川へと北上していったのがわかります。室蘭・厚岸・根室にもポツンとありますね。

 

札幌圏の屯田兵村
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この図!ちょっと覚えておいてください。たしか最初の開拓は「琴似」そこから「山鼻」「篠路」「新琴似」が兵村の流れのようです。


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篠路兵村
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屯田兵に与えられた家屋の地図ですね。

このときすでに「グリッドプラン」が確立されている!

 

他には兵村を守るための消防の様子もありました。
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屯田兵屋
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この建物(屯田兵屋)は明治22年、現在の屯田6条2丁目382番地に屯田兵として入植した佐々木氏一家(山口県出身)が明治37年頃まで生活をしていたものであります。~中略~当資料館内に展示をし、永久保存すべく同氏より寄贈をうけました。・・・

と、実際の兵屋を移転復元したものでした。


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屯田兵が最初に鉄砲を持ったのは、西南戦争のときでした。
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日清戦争でも出征
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その後、日露戦争にも出征
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資料館2階へあがってみます
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水との闘い
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札幌に資源を求め開拓に来たけど、札幌を始め、北海道各地での水との闘いは開拓の大きな障害だったようですね。先日の【鷹栖町】でも水との闘いが語られていましたね。

→ 鷹栖町を振り返る

takavantabidaikiti.hatenablog.com

 

ここでも「土功組合」
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で、このブログの本命が来ました!✨
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明治8年琴似村に屯田兵入植

明治9年山鼻村に屯田兵入植

明治14年篠路太に屯田兵入植


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明治20年新琴似に屯田兵入植


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明治32年 篠路兵村四ケ村戸長役場より篠路兵村戸長役場に編入


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篠路兵村は篠路村から琴似村に移管する


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昭和17年 琴似町に町制施行、篠路村は琴似町大字屯田となる


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昭和30年 琴似町が札幌市と合併、札幌市屯田となる

 


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昭和47年 札幌市が政令指定都市になり屯田は北区屯田町となる

北区全体ではなかったけど篠路を中心にだいたいわかりましたね。

新琴似の屯田兵がどのような集落に変わっていったのかも気になるところ。

 

その新琴似にも行ってきましたよ

 

「新琴似屯田兵中隊本部」

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建物は「新琴似神社」の一角にあります。

開館時期には中を見学できるようですね。

この時は入場はできませんでした。

この建物は、1886年(明治19年)に「陸軍屯田兵歩兵第1大隊第3中隊」の本部として建てられ、兵村の行政や軍事の拠点であり、いわば「村役場」と「司令部」を兼ねた場所でした。
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「新琴似神社」
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せっかくなのでまだ行っていなかった初詣をして来ました。“この旅も無事安全に終われますように。”


安全を祈願したところで、お隣の区に入ります!

【札幌市東区】産業の発展と空への玄関口

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2025年11月現在 人口:263,491人

札幌市内で人口第2位。

北海道市町村でみますと、ここも「旭川市」に次ぐ人口です。「函館市」よりも多いんです。

歴史ある農地と近代的な住宅街が共存するエリアですね。
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建物は1万人規模程度の市町村的な大きさでした。

レンガ調の建物が札幌っぽい気がします。
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それじゃぁ、「東区」を巡ってみましょう!

 

ビール好き!お酒好き!は、来ないわけないでしょう!

「サッポロビール博物館」

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んー!田舎者の【たかさん】には、札幌来た!って感じがします。

「サッポロビール博物館」は、日本で唯一のビールに関する専門博物館です。明治時代の貴重な建築と、北海道開拓の熱い歴史が詰まった非常に魅力的な博物館ですね。

 

おや?こんなところに「神社」が・・・
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「札幌神社」?
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ほー。北海道神宮の御分霊をお祭りとな。

 

広い敷地には「サッポロビール園、博物館、開拓使館、ポプラ館、カフェ、ショップ」などがありました。
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んー 読めない・・・
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ここが博物館入口のようです。
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入ってみましょう! ビール♪ び~る♪ ←うきうき
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車じゃなければ全部呑みたい。
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コーン茶も、とうきび!って味がしておいしいんですよ!


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ここから一般見学コースを回っていきます。
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この窯1杯分のみたい


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ではここからサッポロビールと開拓の歴史をみていく!

※以下資料「サッポロビール博物館」

01 1869~開拓使のはじまり
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01-01開拓使の設置 01-02西洋式の導入
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01-03開拓使がはじめた事業
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01-04開拓使のまちづくり
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02
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02-01中川清兵衛の生い立ち
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02-02本場ドイツで修行したビール醸造人、誕生 02-03中川の目指したこと
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02-04お雇い外国人からの提言
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おおっ!ここに!岩内で発見された野生ホップの話が!!
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→岩内町を振り返る まだブログにしていない頃なので、また~再訪の旅~にて。

takavantabidaikiti.hatenablog.com

 

03 1875~北海道でつくるべき!
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03-02開拓使は、北海道のために
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04 1876~ビール醸造所の完成
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歴代のラベルがならんでるー!
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05 1877~札幌ビールの初出荷
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06 1880~札幌ビールの評価高まる
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さすがにこのラベルは知らなかったぞ。
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07 1886~官営から民間企業へ
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サッポロビールの源流は、明治政府が1876年に設立した官営の「開拓使麦酒醸造所」です。これが1886年に大倉喜八郎(大倉組)に払い下げられた後、翌1887年に渋沢栄一が浅野総一郎らと共に事業を譲り受け、「札幌麦酒会社」を設立しました。

 

08 1892~ビール醸造の近代化
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09 1903~札幌麦酒、東京進出
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日本のビール業界は激しいシェア争いをしていました。渋沢は過度な競争を避けるため、1906年に3社の合併を調整・実現させ、札幌麦酒(サッポロ)、日本麦酒(ヱビス)、大阪麦酒(アサヒ)が合併し、市場シェア約7割を誇る巨大企業「大日本麦酒株式会社」が誕生しました。

第二次世界大戦後、GHQは「日本の軍国主義を支えたのは巨大な財閥や独占企業だ」と考え、これらを解体するよう命じました。これが「過度経済力集中排除法」です。 この法律の対象に大日本麦酒が選ばれ、「あまりに大きすぎて競争が起きないから、会社を2つに分けなさい」という命令が下ったのです。

1949年(昭和24年)、大日本麦酒は以下の2社に分割されました。

この時、面白いことに「ブランド(商標)」も半分にされました。サッポロ側が「サッポロ」と「エビス」を、アサヒ側が「アサヒ」というブランドを引き継いだのです。

この分割後、アサヒビールは長く「業界3位」の苦しい時代を過ごしますが、1987年の「アサヒスーパードライ」の大ヒットで劇的な復活を遂げ、首位を奪還することになります。

 

10 1956~サッポロビールの復活
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10-03 北海道から「サッポロビール」復活!
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11 1977~生ビール時代を切り拓く
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11-02 名付け親はお客様、サッポロ生ビール黒ラベル
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12受け継がれるものづくり
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12-01 開拓使時代の原料づくり
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岩内町の功績おおきいなぁ。

 

さっぽろとサッポロ
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明治・大正・昭和と続く歴代の広告ポスターの展示は、日本のデザイン史や世相の移り変わりを感じることができ、ビールを飲まない方でも楽しめるのではないでしょうか。
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「漢は黙って、サッポロビール。」
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売店のコーナーに来ました!
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目を引くものがいろいろ!
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写真撮りもわすれてTシャツにちょっと心惹かれていました。

 

お!これは「地ビール」ではないですか!

地ビールは買わないといけないルールなのです!
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こちらは「サッポロビール開拓使館」
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こちらはレストランでした。

 

自分へのお土産に!
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外にも窯があった。
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のんびりビールに浸ってたらお昼を過ぎていました。

博物館はタイムズの有料駐車場だったので、気兼ねなく近くでお昼にします。

 

「一旅一ラーメン!」
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今回伺ったのは「雨は、やさしくNo.2」
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クリーミーなスープがこれまた絶品!おいしかった~!ごちそう様でした!

 

そして東区というよりも、札幌村だった歴史を教えてもらいましょう!

「札幌村郷土記念館」
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駐車場から見える石碑がなにやら・・・
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では、伺ってみましょう。
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実は、今の札幌の礎を築いた「大友亀太郎」と札幌村の歩みを知ることができるのが、この『札幌村郷土博物館』です。 かつての役場跡地に建つこの場所には、開拓時代に使われた貴重な生活用具や農機具がぎっしり。当時の人々の息遣いが聞こえてくるような、どこか懐かしくも新しい発見がある博物館です。
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この札幌で忘れてはならない人物「大友亀太郎」
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雪に埋もれちゃってます。
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※以下資料「札幌村郷土博物館」(一部、札幌市直轄の資料・展示があるためそちらの展示物は撮影しておりません)

 

お!札幌の農産物といえば”たまねぎ!”「札幌黄」!
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入館すると『昭和16年生まれのおねえさん学芸員』さんがいろいろ詳しく教えてくれました。

 

慶応2年(1866年)

江戸時代末期、幕府は北方警備と開拓のために、この地に御手作場《のちの元村(札幌村)》を設置しました。しかし、当時のこのエリアは湿地帯や原野が多く、農業を行うためには「水の確保」と「排水」、そして「物資の輸送路」が不可欠でした。そこで大友亀太郎が私費を投じ、幕府の許可を得てわずか1年余りで掘り上げたのが大友堀です。それは単なる水路ではなく、札幌という都市を機能させるための「多目的インフラ」でした。また、都市計画の「基準線」として、現代の札幌に最も大きな影響を与えています。明治時代に入り、島義勇(しま よしたけ)らが本格的な街づくりを行う際、この大友堀を「基点(南北の軸」として、碁盤の目の街並みが設計されました。


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ここでちょっと思い出してもらいたいのが、屯田兵が入植してきたあの図です。

明治2年(1869年)に北海道となりました。

明治8年(1875年)屯田兵第一号が琴似に入植 なのです。

屯田兵の開拓ではなく、屯田兵による開拓より9年も前にすでに元村(札幌村)の開拓は始まっていたんですね。

札幌周辺村図

これは郷土記念館でいただいた「札幌市史」をコピーしたものです。

周辺の村だった場所がわかります。

 

 

そしてたまねぎ「札幌黄」
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海外から取り寄せられた種子は札幌村で栽培されました。

しかし、当時日本になかった”たまねぎ”と言う植物は食料としてなかなか受け入れられず、その大きな役目は外貨の獲得でした。生産品を輸出し、資金を稼いでいたようです。

 

北海道といえば「道産子」。午年にちょうどいい。

しかしこの道産子・・・
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もともと東北の南部馬だって知ってました?

 

札幌の川についてかなり詳しく記載されています。
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大友亀太郎は二宮尊徳より測量の技術を学び、大友掘を完成させたそうです。
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年表きたー!
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慶応二年(一八六六)

大友亀太郎は箱館奉行から西蝦夷地開墾掛に任ぜられて、石狩場所開墾の取扱いを委任される。(二月)

明治二年(一九六九)

蝦夷地を北海道と改め、サッポロを首都とし開拓使がおかれる。


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明治四年(一八七一)

庚午一の村を苗穂村、庚午二の村を丘珠村、札幌新村を札幌元村と併せ札幌村と命名する。

学芸員さんの話に寄ると、当時、札幌元村に暮らしていた村人は、後からきて札幌新村を作るといった村人たちを快くは思っていなかったようでした。


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明治十三年(一八八〇)

郡区町村編成法により札幌全郡が区となる。札幌区役所(南二西五)には、三月札幌、苗穂、丘珠、雁来、篠路五村戸長役場が設置される。

明治十五年(一八八二)

開拓使を廃止、札幌、函館、根室の三県がおかれ札幌県に属する。


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明治十七年(一八八四)

札幌市街のみを札幌区とし、札幌郡ほか五郡は札幌外郡役所を設置して各部を管轄する


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明治十九年(一八八六)

三県を廃止し北海道庁が置かれる。


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明治三十一年(一八九八)

札幌に区制がしかれる。

札幌村外三村に戸長役場が置かれる。


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明治三十五年(一九〇二)

本村に二級町村制施行


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明治四三年(一九一〇)

札幌村、苗穂村の一部が札幌区に編入される。


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大正十一年(一九二二)

札幌区に市制が施行され、札幌支庁が石狩支庁と改称される。

大正十三年(一九二四)

本村に一級町村制が施行される。


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昭和九年(一九三四)

札幌村、苗穂村、雁来村の一部が市に編入される


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昭和三十年(一九五五)

札幌村、琴似町、篠路村と共に札幌市に合併される。

 

札幌市の形成がわかる図もありました!
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篠路村は一時分村していたことがわかりますね。

 

北海道遺産に認定されています。
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札幌村役場庁舎跡地は現在の「札幌村郷土資料館」となっております。
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亀太郎さんの雪が降ろされていました!
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すっかり学芸員さんの楽しい解説に耳を傾けてしまい、時間も遅くなっていました。

退館間際には、館長さんにご挨拶いただき、名刺までもらい、札幌に関する資料・パンフレットをこれでもか!ってくらいいただきました。

とても親切に解説・対応いただき、また、今後の資料となるパンフレットもいただき、ありがとうございました!ここもそうですが、北区の屯田資料館でも、開館前に見学させていただいたり、西区の資料館も丁寧な対応、資料をたくさんくださり、札幌の郷土資料館なまら楽しい!ってなりました。ほんとうにありがとうございました!

 

いただいた資料の一部

 

さて、すっかり遅くなってしまったので本日はこの辺にしておくことにして、

温泉へ!「札幌あいの里温泉 なごみ」さん!
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茶褐色のお湯が身体をあっためてくれて、のんびりできるいい温泉でした!

 

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この日は、「北欧の風道の駅とうべつ」へ移動し、仮眠となりました。

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**翌朝**

 

札幌唯一の空港にして、空の玄関口!

 

【札幌丘珠空港】

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なんやかんや、空港見て歩くの楽しいんですよね。

 

札幌観光や出張といえば「新千歳空港」が定番ですが、札幌市の空港といえば丘珠空港ですね。

最大のメリットは、なんといっても「街からの近さ」! 札幌駅からも車やバスで20分〜30分程度。アクセスの良さが魅力です。ここはプロペラ機が主役の、とてもアットホームな空港。展望デッキからは機体との距離が驚くほど近く、エンジン音とともに飛び立つ姿は迫力満点です!空港内には札幌のソウルフード「丘珠ラーメン」が食べられるレストランや、地元の特産品が並ぶショップ、さらには札幌の歴史展示パネルもあり、待ち時間もゆっくり過ごせる空港になっております。


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空港ビル案内図
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おや?おやおやおや?これは!もしや!
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札幌をひとまとめに歴史がわかるではないですか!!

搭乗待機している人たちに怪しい人物と思われながら確認!
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慶応2年・大友亀太郎、御手作場を開き、大友堀を開削

明治2年・開拓使設置、蝦夷地を北海道と改称 ・島判官、札幌本府建設に着手

明治3年・移民118戸が苗穂、丘珠,円山などに入植

明治7年・屯田兵制度制定

明治8年・最初の屯田兵として琴似に198戸が入植

明治13年・手宮~札幌間に鉄道開通

明治14年・札幌市街の町名を条丁目に変更

明治19年・北海道三県廃止、北海道庁設置

明治33年・札幌・函館・小樽に北海道区制実施


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大正11年・市政施工(札幌・函館・小樽・旭川・室蘭・釧路)


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昭和9年・札幌村の一部を編入

昭和16年・円山町と合併


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昭和26年・広島村の一部を編入

昭和30年・琴似町・札幌村・篠路村と合併、江別市との境界を一部変更

昭和36年・豊平町と合併

昭和42年・手稲町と合併

 


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昭和48年・小樽市の一部を編入


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平成元年・白石区、西区の分区(厚別区・手稲区の誕生)により9区体制へ移行

平成9年・豊平区の分区(清田区の誕生)により10区体制へ移行

 

へえーー!!平成に入ってから、分区があったんですね!

白石区=白石区+厚別区 西区=西区+手稲区 豊平区=豊平区+清田区

と、まだ歴史の浅い部分がわかりました。西区は以前の訪問で、手稲記念館がなぜ西区?と印象深かった事を思い出します。

 

→札幌市西区を振り返る

takavantabidaikiti.hatenablog.com

 

この先の白石区もこれを踏まえて見てみましょうね。そして未訪問の厚別区、清田区、豊平区、中央区のためにも覚えておこう!
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丘珠空港の基本情報
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なかなか空港の概要なんて見ることもないので、けっこう新鮮です。


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北海道の離島まで飛んでくれてるのはありがたい空港だぁ~


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他人事と思わず、滑走路延長計画を考えてみよう。

 

おやまぁ。親切に図にしてありますね。わかりやすのではないでしょか?
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これはわかりやすい。

札幌区を中心に、札幌村、苗穂村、雁来村、丘珠村、篠路村、豊平村、上白石村、白石村、月寒村、山鼻村、円山村、琴似村、上手稲村、下手稲村、発寒村、山口村、平岸村

の1区17村が存在

 

北海道一・二級町村制により、
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札幌市を中心に、篠路村、札幌村(札幌村+丘珠村+雁来村+苗穂村)、白石村(白石村+上白石村)、藻岩村(山鼻村+円山村)、琴似村(琴似村+発寒村)、豊平村(豊平村+平岸村+月寒村)、手稲村(上手稲村+下手稲村+山口村)

の1市7村になり、

 

藻岩村が円山町に改称して、札幌市(札幌市+円山町)
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白石村と合併、札幌市(札幌市+白石村)


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琴似町、札幌村、篠路村が合併 札幌市、手稲町、豊平町の1市2町になって、豊平町と合併 、手稲町はなぜ最後まで合併しなかったのかねぇ?


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調べてみましたよ!

手稲の人々にとって、合併は「救済」ではなく、将来の発展を見据えた「苦渋の、あるいは戦略的な決断」だったといえます。

最大の理由は、手稲町が札幌に頼らなくてもやっていける「豊かな財政」を持っていたことです。 戦前、手稲山では金、銀、銅などを産出する「手稲鉱山」が栄えていました。昭和10年代には「東洋一」と称される選鉱場が建設され、多くの労働者が集まり、町に莫大な税収をもたらしました。 「札幌のベッドタウン」としてではなく、独自の産業を持つ「自立した町」としての自負が、合併の必要性を感じさせなかったのです。そして、歴史的に見ると、手稲は札幌よりも小樽との結びつきが強い場所でした。 明治初期、開拓使本府(札幌)への物資輸送は小樽港から陸路で行われており、手稲(当時の軽川周辺)はその重要拠点でした。

そんな手稲町が合併に大きく舵を切ったきっかけは、1972年の札幌冬季オリンピックの開催決定(1966年決定)でした。

手稲山がアルペン競技などの会場に選ばれたことで、大規模な道路整備やインフラ開発が必要となりました。町単独の予算では到底賄いきれない膨大な事業費を前に、ついに札幌市との合併を受け入れる道を選んだのです。1967年、オリンピックを5年後に控えたタイミングで、手稲町は札幌市と合併しました。

 

そんな理由があったんですね!腑に落ちました。


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滑走路を見てみたよ!
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けっこう近い距離で、プロペラ機がみられるらしいんだけど、この日のこの時間は見れませんでした。


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そしてひっそりとたたずむこちらの場所へも来てみました。なかなか行かないよね。

「庚申塚」
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雪に埋もれて近くへはいけませんでしたが、「庚申塚」とはなんぞや?も解説してみましょう。
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札幌市内でも東区に古い庚申塚が点在しているのは、ここが札幌で最も早くから民間人による農村形成が進んだ「札幌村」の本拠地だったからです。

計画的に作られた「中央区(都市部)」とは異なり、東区は農民たちが自らの手で切り拓いた土地。そのため、彼らの生活習慣や伝統的な講(集まり)の文化が色濃く残り、石碑という形で今日まで継承されました。

東区の庚申塚は、当時の主要な街道(現在の「北24条通」や旧道)沿いに置かれました。これは村の入り口に建てることで、外部からの「疫病や災い」が村に入り込まないようにする「結界」の役割も果たしていました。

 

【札幌市白石区】(しろいしく) 

戊辰の果てに、理想郷を求めて。開拓の魂が息づく街。
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2025年11月現在 人口:214,027人

ここも北海道市町村で対比してみましょう。

「函館市」に次ぐ人口で、現在北海道4位の「苫小牧市」より多いです。

過去訪問の「西区•手稲区•南区」も人口が多いですが、「北区•東区•白石区」をみても、札幌市への一極集中が凄いですね。田舎者には華やかな街です。

アクセスの良さから安定した人気があり、かつての白石村の絆が今も息づいています。
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にしても、でけぇー!札幌の区役所でも上位に入る大きさではないだろか。

 

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「白石郷土館」は、役所に併設されていました。


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ここは単なる資料館ではなく、戊辰戦争に敗れた仙台藩白石城主・片倉家とその家臣たちが、いかにしてこの地を「白石」と名付け、ゼロから切り拓いたという「不屈の精神」を展示する聖地です。
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※以下資料 「白石郷土館」
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1871年(明治4年)、故郷を離れ、命がけで北の大地へ渡ってきた旧仙台藩白石城主・片倉家とその家臣団。彼らを待ち受けていたのは、見渡す限りの原生林と厳しい寒さでした。
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当初、仙台藩や米沢藩を中心とした東北諸藩は、新政府軍と戦うつもりはありませんでした。彼らの目的はあくまで「会津藩の赦免」を求める嘆願でした。

しかし、新政府側の鎮撫使(世良修蔵ら)が強硬な態度を崩さず、仙台藩士によって世良が暗殺されたことで事態は一変。1868年(慶応4年)5月、北越の諸藩も加わった「奥羽越列藩同盟」が結成され、新政府軍(西軍)との全面対決へと突入しました。


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1868年9月、二本松城が陥落し、新政府軍が仙台の喉元まで迫ると、仙台藩内では「主戦派」が失脚し「恭順派(降伏派)」が実権を握ります。

仙台藩は62万石から28万石へと大幅な減封(領地没収)を言い渡されました。

この凄まじい減封により、多くの家臣たちが職を失い、食い詰めることになります。その絶望的な状況下で、「ならば新天地・北海道で再起をかけよう」と立ち上がったのが、白石区の礎を築いた片倉家とその家臣団でした。


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かつて勝海舟や福沢諭吉を乗せて太平洋を横断した幕府の栄光の象徴・咸臨丸(かんりんまる)。しかし、明治4年(1871年)当時は、すでに老朽化し、開拓使の輸送船として使われていました。1871年9月、仙台藩白石家臣団(第三陣・約400名)を乗せた咸臨丸は、寒風沢(宮城県)を出港し小樽を目指していました。しかし、函館を出た直後の9月20日、木古内町のサラキ岬沖で暴風雨(あるいは操船ミスという説もあり)により座礁。数日後に沈没してしまいました。 荒れ狂う海の中、地元の泉沢村の人々の必死の救助活動により、401名全員の命が助かりました。しかし、彼らは家財道具のほとんどを海に失い、着の身着のままで函館へ引き返すことになります。

咸臨丸が沈没した際、実はもう一隻の船、「庚午丸」(こうごまる)が後続として走っていました。庚午丸は咸臨丸に乗れなかった残りの移住者(約200名)を乗せていました。咸臨丸の生存者たちは、函館でこの庚午丸のグループと合流します。

 全員が合流し、ようやく小樽に到着しましたが、時期はすでに晩秋。雪が降り始める過酷な状況下で、移住団の中で激しい意見対立が起こりました。これが札幌の歴史における大きな分岐点です。

この遭難事件による疲弊と、冬目前という焦りが、一つの大きな集団を二つに引き裂きました。

  • 白石派(佐藤孝郷ら): 「当初の予定通り、開拓使が用意した札幌の豊平川東側(現在の白石区)へ向かうべきだ」と主張。彼らが築いたのが「白石村」です。

  • 手稲派(三木勉ら): 「こんな冬間近に、準備も不十分なまま白石へ行くのは無理だ。まずは銭函や石狩で冬を越すべきだ」と主張。石狩で冬を越した彼らが、翌年に移り住んだのが現在の「手稲区(手稲村)」です。

うっはー!おもしれー!手稲開拓と白石開拓に、こんな歴史があったなんて!

 

(ここからはパネルでごらんください。)


白石村のはじまり 
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お次は、

「白石区開拓記念碑」

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こちらも雪に埋まっていましたが、なんとか撮影。

国道12号線沿いにある「白石公園」内にひっそりと、しかし堂々と立っています。かつての白石村役場があった、まさに地域の中心地に位置し、明治4年(1871年)に入植した旧仙台藩白石家臣団の「入植50周年」を記念して、大正10年(1921年)に建立されました。碑には、ここが「白石」という地名になった由来や、開拓の苦労が刻まれています。

 

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この日も、「一旅一ラーメン!」といきますよ!

伺ったのは、

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「ラーメン専門 三代目 月見軒 本店」

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味噌ラーメンをいただきました!

おいしゅうございました!!
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ごちそうさまでした!(令和8年 5杯目)

 

では白石区最後の訪問です。

「北海道暗渠排水施設発祥の地」
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これまたマイナーな発祥の地にきてしまいましたが、暗渠(あんきょ)ってご存じですか?今でも農家さんが数年に一度、お金をかけて工事する田んぼの排水改善です。
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場所は国道から1~2本外れた民家が立ち並ぶ住宅街。

いまでも個人宅のようでした。
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と、一通り札幌市の北区、東区、白石区を巡ってきましたがいかがだったでしょうか。

 

毎回「このブログ長くて読むの飽きるんだよな~。とか時間無いと読めないじゃん!」とか思ってるそこのあなた。

ごめんなさい。

カレーは飲み物。ブログは読み物。

こういうブログでした。今回は区の流れを切りたくなくて1本にまとめました。

興味を持ってみていただけたなら幸いです!

 

北区東区白石区巡りの最後はゆっくり温泉に。しかもちょっと贅沢温泉^^

「北広島温泉 楓楓(ふうふう)」
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こちらも茶褐色のお湯が気持ちよく、施設の整った綺麗な温泉でした!

あ~いいお湯でした。

この日はこのあと「道の駅マオイの丘」へ移動し仮眠後、翌朝帰宅となりました。

今回も楽しい旅でした。

無事安全に帰宅できたことに感謝!(新琴似神社の神様のおかげかしら)

では、次のVAN旅でお会いしましょう!

 

 

残 9市町村(札幌市6/10区、札幌市は10区訪問後カウント)

**礼文町、利尻町、利尻富士町、奥尻町、札幌市(残4区)、滝川市、砂川市、奈井江町、美唄市**

〜再訪の旅〜 鷹栖町愛別町上川町滝上町

【たかさん】の北海道市町村来てみたよ!

〜再訪のVAN旅〜

 

始まりました!VAN旅 Ⅱとも言えるこのお話。

旅の初期、Twitter(新X)にて公開を始じめたこの旅も、2年4ヶ月の時が経ち、残り9市町(札幌市残7区)となりました。旅を通して実際に街を巡ってみると興味や目線も変わって行きました。当時はさらっと「役所いってー。商店街見てー。観光するか、買い物してー、ラーメン食えたらいいやー。」の気分で巡っていましたが、行けば行く程その市町村を知りたくなり、気がつけば歴史巡りにどっぷりはまっていました。

 

そんな中、ブログに出来ていない市町村にもう一度スポットを当て、歴史を中心に振り返る旅に出よう!と決めました。

 

〜再訪の旅〜

① 役所役場は再訪しない。

②博物館、郷土館、資料館等の未訪問施設に行ってみる。

③史跡や歴史的なものは未訪問なら行ってみる。

④目的の市町村だけにとらわれず、近隣市町村を活用し自分勝手で自由な楽しい旅にする。

⑤一旅一ラーメンは継続!

まだまだおいしいラーメン探しの旅(ラーメン道)は続く!

 

再訪1回目は、やはりここから!

⬇️過去記事はこちら

takavantabidaikiti.hatenablog.com

 

 

では、行ってみましょい!

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【鷹栖町】(たかすちょう)

人口:6,567人(令和2年度)の小さな街で、北海道第二位の都市【旭川市】と隣接し、手元資料では、人口規模で北海道74番目の都市となっております。

 

向かった先は

【鷹栖町郷土資料館】

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開館日が水曜日、土曜日の週2日間。

時間は10時〜夏17時冬16時までと言う

なかなか入館のハードルが高い超レア郷土館となっております。
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都合を合わせて潜入!

 

入館料は無料で、来館名簿の記入がありました。

※以下資料 鷹栖町郷土資料館(写真撮影許可済み)

入った瞬間、壁上に目標物発見!
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どれどれ。
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記載は明治2年から。名称を北海道とし、11国86郡設置からですね。

明治23年 上川郡に村誕生(旭川・神居・永山)

明治25年 鷹栖村開村

明治28年 戸長役場設置

明治30年 愛別村を分村

明治35年 鷹栖村一部を旭川町へ編入

明治39年 二級町村制施行 比布村を分村

明治40年 一級町村制施行

大正13年 鷹栖村、東鷹栖村、江丹別村の三村に分村

昭和44年 町制を施行 鷹栖町となる

 

おー!元々この地域は鷹栖村として鷹栖町、愛別町、旭川市旭町、緑町、錦町、北門、川端、近文、春光地区、比布町、旭川市東鷹栖、旭川市江丹別町と広大な土地の村だったのですね!

満足!

 

この地域もたくさんの遺跡があるようです。
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こちらにもわかりやすく分村の歴史が書かれております。
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鷹って漢字がかっこいい。

自分も【鷹さん】とかならかっこいいのに👈f:id:daikiti_taka:20251122140322j:image

 

もしかしたら東京・京都・北京として上川が栄えていた別世界があったのかも。
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この資料館一番の展示

《登録有形民俗文化財登録証》第55号

鷹栖の装蹄用具及び関連資料
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お馬さんの蹄鉄造りが文化財となって展示されています。
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2階も行ってみます。
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こちらにも「鷹栖町史」があり、読みたい衝動を隠して退館としました。
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鷹栖町文化財資料
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鷹栖町は川の氾濫との戦いの歴史でもありました。

「治水の碑」
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鷹栖町に流れる「オサラッペ川」は開拓当初から幾度となく氾濫を繰り返し、住民を悩ませて来ました。
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この水害と稲作に必要な水路確保の難しさから、当時の東鷹栖村は分村運動にまで発展したそうです。
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本来、治水事業は国または自治体の管轄として機能していたわけですが、国による本格的な治水事業を待てないとして、地元住民が主体となって大規模な工事が行われました。民間による治水事業は例を見ないものでした。

• 大正8年(1919年):地元住民の中山照重らが中心となり、「鷹栖土功組合」を設立し、民間による治水工事に着手。

• 大正9年〜大正15年(1920年〜1926年頃):オサラッペ川の改修工事が実行。

• 全長約52kmにも及ぶ蛇行していた河川を、約25kmに直線化するという、6年3ヶ月にわたる大工事でした。

• 昭和2年(1927年):治水工事の完成を記念して、「治水」の碑が建立。鷹栖町指定文化財として指定されました。

この一大事業、土功組合の努力により、鷹栖町の広大な農地に水が引かれ、豊かな米作りの基盤が築かれたそうです。

 

いやぁ〜 また一つ利口になったねぇ〜。

 

鷹栖町の歴史を再確認してみました。

 

 

 

ここらでお昼としましょう。

この先の移動を考え伺った「道の駅とうま」
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ここもいつも車、トラックで人気の道の駅ですね。
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何度も来ていて、仮眠にも何度も利用してましたがここに入った事なかったんです。⬇️

「道の駅とうま御食事処」
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ここで

一旅一ラーメン! 

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醤油ラーメンと日替り丼(この日はチャーハン)
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おいしゅうございました🤤

ごちそうさまでした!

 

ではお次は、

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愛が別格のまち

【愛別町】(あいべつちょう)

人口:R5年 2,571人

の小さな街です。手元資料では道内148番目の人口規模となっておりました。

伺ったのは「愛別町郷土芸能伝承館」
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は、休館となっておりました。

郷土館的展示もあるらしかったので伺ってみましたが、現在では町公式HPでの記載は見つからず、文化連盟等が行事等に使用する施設となっているのでしょうか。
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外の敷地にはいくつかの石碑が。
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何やら歴史的な事が書かれていたので悩みながら読んでみると、どうやらこの地区「伊香牛」にまつわるものらしい。
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開拓記念碑
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んー。鷹栖村からの分村について知りたかったなぁ。

 

では、ちょっと寄ってみたかった

「愛山湧水公園」
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名前の通り、湧き水があるらしいので汲めたらいいな。と思っていたのですが、まぁ積雪に覆われて近づく事もままならん。どうやらこの鳥居の下あたりが汲む場所の様です。
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写真だけ撮って撤退しました。
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ここいらで本日の旅は終了して、寝床を求めて移動。

イオン紋別店まで来ました。(え?愛別から紋別?)
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内陸からオホーツク海って結構遠く感じますが、

片道100kmくらい、1時間半ちょいで着いちゃいます。

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意外と近い。(道民感覚)

イオンで晩御飯買い出しを済ませて、もう一つの旅の楽しみ。温泉♨️入りましょ!

 

「市民の湯くつろぎ湯処紋太の湯」
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はい!以前、紋別市巡りで来た温泉です。

綺麗で広くて気に入ってます。おすすめ温泉です。

と言うか、紋別市の日帰り温泉はここ一択です。

 

寝床確保の前に紋別来たら必ず寄りたい

カニの爪オブジェ
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ライトアップされた爪は初めて✨

 

この日仮眠したのは「道の駅オホーツク紋別」
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翌朝には道の駅でお土産購入。
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さぁて、ゆっくり休ませてもらったので市町村巡りに戻ります。また内陸へ。

 

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【滝上町】(たきのうえちょう)

人口:3,366人(平成17年)

公式HPには平成17年までしか掲載されておりませんでした。手元資料(2024年1月時点)では道内153番目の人口規模となっており、資料上の人口は2,293人です。

 

「滝上町郷土館」
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施設敷地内には鉄道関連の展示がありました。
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先ほどの看板でお気づきの方もいらっしゃる?
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開館期間5月1日〜10月31日
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時すでに11月半ば。....。
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これは自分のリサーチ不足でした。

滝上町の成り立ちについては、公式HPに紹介がありましたので、そちらでみてみましょう。

明治2年(1869年)8月

蝦夷地を改め北海道と称し11国86郡を置く

明治13年(1880年)6月

紋別に紋別村外九カ村戸長役場が置かれる

明治33年(1900年)

アイヌ人柳田初太郎氏が元町付近で漁猟生活を営む

明治38年(1905年)
高知県人西森亦吾氏が上渚滑原野52線に入地開墾に従事

明治40年(1907年)
初めて「滝上」の地名が北海道地図に現れる

大正7年(1918年)4月

渚滑村から分村「滝上村」となる

大正12年(1923年)11月

渚滑線開通 奥滝上駅逓所設置

昭和22年(1947年)
町政施行

平成2年(1990年)4月

童話村をテーマとしたまちづくりがスタート

平成15年(2003年)8月

市町村合併研究会発足(紋別市・雄武町・興部町・西興部村・滝上町)

12月 紋別市を合併対象市町村とする合併協議会設置請求が提出

平成16年(2004年)3月

議会市町村合併問題調査特別委員会にて「紋別市・滝上町合併協議会の設置に関する協議」否決

 

んー!紋別市との合併を協議してたのかー!

●紋別市との合併に関する住民アンケート(合併すべき25.7パーセント 自立62.9パーセント)

住民が選んだ道なので何とも言えないですが厳しい選択でしたなぁ。

よし。現地で確認出来なかったのは残念ですが、概ね満足。

 

 

お次は芝桜公園の近くありましたこちら。

「滝上町商業発祥の地」

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〇〇発祥の地は行っておきたい。

周りを見回しながら、この地形で、ここで始まったと言う感覚が現地だと分かりやすくて楽しいんですよ。
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裏にもなんか刻んでありますね。

明治四十二年七月 本町最初の商店斉藤伊太郎開業の地
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ほぉ。

あれ...?本町で明治四十二年?

先ほどの年表みると、明治四十二年当時はまだ「紋別郡渚滑村」でしたね。
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本町と言うより、その時代、この滝上地域で最初の商店と言う理解で問題ないでしょう。

 

そして町の総面積の90%を占める森林区域を走って行くと...。
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「奥滝上官設駅逓所跡」
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今ではクマと鹿の居住地です。
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駅逓は今まで各所に行っていましたが、こんな山の中は初めて。

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もう一度、駅逓とはなんぞや?

駅逓とは開拓期、交通の不便な地域で、旅人の宿泊、人や馬の継立(つぎたて)、運送、郵便物の取り扱いを担った半官半民の施設(駅逓所)の一つです。この滝上官設駅逓は“官設”として滝上町の奥地の開拓と、紋別方面などの鉄道起点とを結ぶ重要な交通路の要衝として、地域住民や開拓者の生活、産業活動を支えた重要な拠点でもあったようです。

 

こんな山の中に人がいて、暮らしを創り、開拓をして、今に繋がる。
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歴史を伝え続けてくれる石碑に感謝。

 

 

熊の出そうな山を越え谷を越えやって来ました次の街。

 

 

おっとー!その前に腹ごしらえですよ!

「上川ラーメン二代目鉄人たかはし」さんへ!
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一旅一ラーメン!その②
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イチオシのゴマ味噌拉麵をいただきました!

んー!おいしゅうございました😆✨

ごちそうさまです!

 

と、お分かりの通り

次の街は

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北の山岳リゾートタウン

【上川町】(かみかわちょう)

そしてラーメンのまち!

 

2025年03月 人口: 3,034人小さな街です。

手元資料では、道内127番目の人口規模となっておりました。

 

「上川町郷土資料館」
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なかなか立派な建物です。
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入館料は無料でした。

※以下資料 上川町郷土資料館

(写真撮影許可済み)


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なんか奥に広がってるぞ
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資料館開設の説明
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こちらにも名を残しておられました。

松浦武四郎先生!
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歴史の開扉 ←題名がかっちょええ

1891 明治24 北見道路全線開通

      24.6 官設越路駅逓所設置

1894 明治27 愛別原野殖民地区画決定、貸付開始

1895 明治28 本田喜市、越路27線入地、上川町の開基となる

1897 明治30.7 母村鷹栖村から愛別村分村独立

      30.11道庁官制改正により、郡役所を廃し、札幌外18支庁を設置 上川支庁開庁

 

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1924 大正13.1.1

上川村分村独立


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1934   昭和9.12.4

大雪山国立公園指定


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1952 昭和27.9.1 町制施行 

1957 昭和32.10.1 大雪国道(国道39号上川~留辺薬間)開通


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1972 昭和47.11.1 国道273号線(上士幌~上川~紋別248.4km)開通

 

ふむふむ。険しい山間だけに、道路の開通に伴って分村し、発展していった上川町の歴史がわかる。

 

今回のこのルートは事前調べしてたわけでないのに、鷹栖町→愛別町→上川町と分村の歴史を綺麗に流れる旅でした。なんとなーく選んだ市町村巡りなのにピッタリハマってると気持ちいいなぁ😌

 

他にも上川町の文化や農耕、開拓の歴史についてもたくさんの展示がありました。無料で入れるのに充実の展示でした。
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上川発電所もこの上川町には重要な歴史。
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そしてこの雪深いまちでの雪との戦い。
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大雪山国立公園を抱える街ならではの展示も盛りだくさん!
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ここでも「上川町史」、完読したい気持ちを抑え退館です。
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無料で入れるのに充実の展示!
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ぜひ行ってみて下さい!

 

次に向かう先は、

「開基の地」碑
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先ほどの湧き水から少し山に入った場所にありました。キツネの散歩道のようです。
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明治二十八年宮城県人本田喜市氏

家族六人と共に土地貸付を得て

初めてこに開拓の鍬を入れ

本町発展の基を開く

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裏側
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周りには小さな小川。そして正面の山。f:id:daikiti_taka:20251122140248j:image

ここは愛別町がすぐそこ。分村したのが場所的にもわかりやすい。上川町市街地まで結構な距離があるのに、この地で上川町が始まり開拓が進んでいったと思うと感慨深いものがあります。


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では、今回の 〜再訪の旅〜 はここまで。

 

 

本日も寝床を探しに走ります。

向かう先は剣淵町(けんぶちちょう)

まずはお買い物。

剣淵町ダ・マルシェにて買い出しです。
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ちなみに上川町から剣淵町までは

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1時間弱で到着です。

北海道の時間距離計算出てますねぇ〜

1km1分。北海道の屋根、背骨の西側は大体こんな感じです。〇〇まで65kmとか表示の青看があったら、だいたい65分程度で到着です。

※道東は距離感がもっとバグるので別計算です。

 

この日も楽しみのお風呂へー!

「レークサイド桜岡」さん
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綺麗な施設で広くて、ゆっくり入れるお風呂でした!近所のじぃちゃん達の憩いの場にもなってました。
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この日は「道の駅 絵本の里けんぶち」にて仮眠させていただき、帰宅となりました。

 

今回の〜再訪の旅〜ここまで!

次回また「市町村巡りのVAN旅」または「〜再訪の旅〜」でお会いしましょう!

 

過去旅も要チェックですよ🤭

 

※各町の公式HPより、バナーを利用しました。

不適切な場合削除いたしますのでこのブログのコメント欄へご連絡ください。